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それ見たことか (服の力#1)

ある日、外出時に僕が着ていくシャツの事で奥さんと揉めたことがあった。僕は襟がついてアイロンがパリッとかかっているシャツを着るのが好きだ。その日もパリッとアイロンがかかったシャツにジャケットを羽織ろうとしていた。

奥さんは「せっかくの休日なのに、仕事の格好みたいで似合わない」「私の着ている服とバランスが取れていない」と言う。僕は自分のお気に入りのシャツに駄目だしされてムッとした。そして意固地になり、そのままの格好で奥さんと二人で強引に出かけた。

外出先はカバン屋さん。奥さんのカバンの修理が出来上がったと連絡を受けて、引き取りに来た。お店に入るなり社長さんが「全然似合ってないよ」と僕に話しかける。なんの事かと思ったら、僕の服装だった。奥さんがここぞとばかりに「そらみたことか!」と声を出し、今朝の出かけの揉め事を話し出す。

社長さんは話を聞いて笑いながら「嫁さんに服の事をやいやい言われているうちが華だよ」と言う。「うちの店にも50歳を過ぎた男やもめが何人かいて、その男達は金があるのか高いブランドの靴と服を着ていて、本人はカッコいいと思っているみたいだが、もう、これが全然似合ってないんだよ」「しかも同じモノばっかり着てくる」と話してくれた。そして「これを着てみたらいいよ」と1枚のシャツを手渡してくれた。

このお店はカバン屋さんだが、食事をすることも出来るし、ビールも飲めるし、なぜか服まで置いてある。社長さんと奥さん二人から、僕の服装をけなされて少しムッとしていて社長さんが渡してくれた服をしばらく着る気分になれなかった。「もう、試しに着るだけならいいじゃない」と奥さんに促されてようやく試着してみる気分になった。僕はけっこう、面倒くさい男だった。

試着室で着替えてみると、その服は幼稚園か保育園で園児がよく着ているようなシルエットでスモックのようなシャツだった。僕の好みの襟が大きくて、パリッとアイロンがかかっているシャツではない。真逆のようなシャツだった。でもサイズはピッタリだった。試着室から出ると奥さんと社長さん二人が「とても良く似合っている」と喜んでいる。

二人があまりにも喜んでいるので、僕の気分もようやく解けてきて「まぁ、いいか」と思い出した。二人がそんなに喜ぶのなら、このまま着ていこうと値札をハサミで切ってもらって購入することになりそのままお店を出た。

そのシャツは動きやすかった。歩いているとそのシャツはずっと前から僕が着ているような着心地だった。アイロンがパリッとかかっていないが、その代わりに柔らかいシャツの生地が素肌にとても心地良く優しかった。僕もようやくこのシャツを買ってよかったと思い出した。

歩き方が少しスキップするようになって、奥さんより先に進んだ。服が心に影響することをはじめて知った。後ろから「そらみたことか」と優しい声が聞こえた。








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