「つもり」は正当化のための虚言にすぎない・・・
仕事にしても、約束事にしても、「◯◯しているつもり」、「◯◯したつもり」は、自らの正当化のための虚言に過ぎない。また、「○○は関係ない」、「◯◯は終わった」、「◯◯なんぞ遣った覚えはない」と一蹴するのは、開き直りの罪人や独裁者が好んで遣う言葉だ。
昨日、国連事務総長とロシア独裁者の会談の模様が報じられていたが、予想通り、「○○は終わった」と断じている。3年前だったか、熊本市内の某会社社長が、厳しくパワハラや契約について追及されると、「◯◯したつもりはなかった」と目が泳ぎ、さっさと社長室に閉じ籠った。
自らの正当化のために、無意識に発した「つもり」や、意識的に相手を脅しながら断じる「終わった」などの発言は、その人物の日頃の素行の悪さを物語るだけの話。「つもり」は自画自賛であり、やってる感を表現する最も軽い言葉であり、「終わった」は正当化を証明できない人間の逃げ台詞である。
特に苛立つのは、「終わった」と一方的に我が身と自国軍によるジェノサイドをもみ消すための虚言である。こんなにも無意味で馬鹿らしい発言など、取材する価値もない。目に落ち着きがなく、きょそきょそしている中で、マフィアの目に豹変する。パーフェクトな悪魔的偽善者である。
昨夜は、可愛い野草を撮影してオフィスに戻ったのだが、どうしても、ロシアの独裁者やその操り人形ジェノサイド軍団のことが頭から離れない。ここまで嘘に嘘を重ねて蛮行を繰り返し、その独裁者や操り人形たちにとって、何がメリットなのかも理解不能となった。それほど、常軌を逸している訳である。
本日のテーマは、「つもり」であること、一瞬忘れそうになってしまった。やはり、仕事に関しても、約束事にしても、余りにも「つもり」を多用していると、「欺罔の天才」と言われ、先々、「恥ずかしさの境界線」を逸脱した無能力者のレッテルを貼らてしまうに違いない。