遣ってはならぬ事(1)・・・恩を仇で返す
幼い頃に、両親から厳しく言われていた言葉の一つに「恩を仇で返す」というものがあった。
最初はどういう意味なのか分からなかったが、自我に目覚め、じわじわと世の中が広く見え始めた頃に、その意味が分かってきたような記憶がある。
しかし、この言葉を余りにも意識すると、「恩着せがましい人」に揶揄されたり、「恩を売るのか?」と逆ギレする人もいないではない。
更に、身勝手で思い込み激しく、勘違いが多い人は、「見返りを求めず行うのことが施しなのでは!」と他人事のように無関心な人もいる。
また、愛と恋の根本的な違いを「愛は見返りを求めず、恋はそれを求めるのだよ。」と分かったふりして言う人もいる。
人の考え方、受け止め方は人それぞれであろうけれども、幼い頃から聞かされてきた「恩を仇で返す」は、人として恥ずかしさの境界線を逸脱したものである。
幼い頃は、他人様へ施しをするような余裕や余力もなく、自分の思いのままに走り回っているので、「恩」の概念がよく分からない。しかし、他人様からお世話になれば、「感謝」の気持ちは徐々に湧いてくる。
それが「恩」を理解するスタート地点となり、更に、自身に心のゆとりや知見が人並み以上にできれば、「施し」への心が自然と湧いてくると言う流れであろうかと。
「感謝の念がない人」に多いのが、この「恩を仇で返す」である。皆さんも経験があると推察するが、「仇」で返されれば、これまでの信頼関係はマグネシウムのように一瞬にして燃え尽きてしまう。
筆者もこれまでの半生において、多くの方々のお世話になり、迷惑をかけっぱなしであるが、その「恩」は忘れることなく大切にして、間違っても「仇」で返すことのない人生でありたいと、常々考えている次第。
▼幼い頃の「恩」について
1)登校時に下り坂のカーブで小砂利で足を滑らせ、カーブの突き当たりの家の前で膝を擦りむいた時に、その家の方が膝を消毒して手当をしてくれたこと。
2)幼い頃に乗せてもらった高級外車に夢中になった話を聞いた持ち主から、後日、20分の1のスケールのその高級外車と同じラジコンカーをプレゼントしてもらったこと。
3)4年近く通ったカトリック系幼稚園の園長と奥様が、父の転勤先(筆者は県外の学校へ転校)に訪ねて来られ、「決して天狗になったらダメだよ。」と諭してくれたこと。
4)小学校1年の夏休みに、急遽転校しなければならなくなった筆者に、担任の先生が国語の教科書(2年生から6年生)を読むようにと、5冊プレゼントしてもらったこと。
5)祖父母との諍いが絶えなかった幼い頃に、門限すぎて夕飯を食べれなかった時に、幼友達の母親がたいそうなご馳走をしていただいたこと。
以上、思い出せば枚挙に遑がないほどに、多くの方々からお世話になってきたのであった。
「恩を仇で返す」
Bite the hand that feeds you.
Repay kindness with ingratitude.
Kick down the ladder by which you have risen.
「恩を仇で返すな」
Do not bite the hand that feeds you.
Do not repay kindness with ingratitude.
Do not kick down the ladder by which you have risen.