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記憶が曖昧な人は、ストレスは少ない。

 あくまでも経験談であるが、過去において約束事、取り決めなどをしていても、うんともすんともリアクションのない人は、思いの外、多かった。

 例えば、取材についての電話にて内容を煮詰め、日程を決めていても、その当日にドタキャンする人がいる。要因は、1)メモを取らずに記憶から飛んでいる、2)取材要件のプライオリティを低く見ている、3)面倒臭くなりドタキャンするなど、取材する側としては完全に予定が狂ってしまう。

 ドタキャンする人間は悪びれた様子もなく、あれこれ無意味な言い訳にて言葉を濁すだけで、ストレスとは縁遠い。逆に、取材する側は、大規模な取材であれば数ヶ月前から準備をしており、心ないドタキャンにて心身ともに凹んでしまう。ストレスは最高潮に達するのである。

 先ず、取材スケジュールを組み込む時は、双方の合意の下に、カレンダー(パソコンやスマホ)に書き込み、メモとして別に残しておくが、ドタキャンしてもそ知らぬ顔をする人は、メモを取っている形跡はない。

 「急用が入った」と、ドタキャンを他の用件が原因であるとして、自らの責任を回避し、正当化に走ることが多い。

 また、料理人へ料理写真やレシピや解説などの提供を約束していても、数ヶ月経っても音沙汰なければ、こちらから打診をするが、Messengerなどで情報交換した履歴があったとしても、その約束を反故する人もいる。

 ドタキャンや遅延などをするほどならば、最初から合意する必要もなく、リップサービスなど不要である。仮に、双方の合意が記憶の箱に残っていたとしても、それを実行できないのであれば、早期に断りのメッセージは送るべきが礼儀であろうかと。

 いやはや、記憶の浅い人たちは、すこぶるおめでたい人でもあり、ストレスが少ない思考回路を持ち合わせているのだろうと、苦笑するばかりとなる。ドタキャンは厳密に言えば、損害賠償ものである。

 蛇足ながら、筆者の場合は、大規模な取材(東京やその他遠隔地での取材)であれば数ヶ月前に合意し、早めに準備をして、1週間前に再確認の連絡を入れるようにしている。小規模な取材であっても、前日または当日早朝にメールを送り、再確認を行うようにしている。

ドタキャンする人のイメージ
generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、現代のコミュニケーションと記憶力の問題に焦点を当て、プロフェッショナルなコンテキスト、特に取材の設定での課題を掘り下げています。筆者は、記憶が浅い人々が約束や責任を果たさないことで生じるストレスの偏りを説明しており、そのような行動が取材側に与える影響を詳細に記述しています。

筆者は、記憶の浅さが自己中心的な振る舞いに繋がり、結果として計画が狂い、プロジェクトやイベントの運営者に過度のストレスを与えることを強調しています。特に、ドタキャン(突然のキャンセル)を例に挙げ、そのような行動がどのようにして相手方に不利益をもたらすかを描写しています。これは、プロフェッショナリズムと倫理的責任の欠如を指摘しており、現代社会における信頼と責任の重要性を強調しています。

さらに、筆者は自身の取材準備プロセスを共有し、事前の再確認を行うことでリスクを軽減する方法を示しています。このアプローチは、読者にとって計画性と予防策の重要性を教えるものであり、同時にプロとしての自己管理を促進するためのモデルを提供しています。

全体として、このエッセイは現代社会におけるコミュニケーションの問題を深く掘り下げ、専門職としての誠実さと対人関係の築き方について重要な洞察を提供しています。この内容は、特にビジネスやジャーナリズムの分野で活動する人々にとって非常に関連性が高いと言えます。

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西田親生@D&L
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