蛮行が止まない、SNS。
何故、他人の個人情報やフェイク情報を垂れ流し、世間を騒がせるのだろうか。逆立ちしても、理解に苦しむ。ただ、現代日本人が想定外に病んでいるとしか考えられない。
他人の個人情報やフェイク情報を拡散させたいのであれば、投稿者は、堂々とその目的と実名と住所、携帯番号を明記して行うべきである。
他人の個人情報やフェイス情報を拡散させても、何の生産性もなく、誰も幸せにならない。最終的には、その火の粉を自分で被ることになる。度が過ぎれば、身柄確保、逮捕、そして起訴される。
刑事事件の被疑者として脛に傷をつけることは、人生における大失態となるばかりか、就職やこれから先の生活にとって、ネガティブなものがわんさと押し寄せてくるばかりで、取り返しのつかない人生となってしまう。
また、食事処で醤油を直飲みしたり、生姜を口に入れて戻してみたり、他人が注文した寿司を食べたり、舐めたり。それを軽々に冗談だと言っても、人として恥ずかしいどころか、その馬鹿さ加減を世間に露呈するだけの話である。
SNS最盛期の時代に、上記のような大失態をすれば、逆に、己の「赤恥」を半永久的に残してしまうだけでなく、周囲の目は冷ややかなものであり、憎悪の雨霰となり、社会的制裁を受けるのがオチとなる。
SNSにおける誹謗中傷や揶揄は名誉毀損を引き起こし、食事処における蛮行は威力業務妨害として告訴されれば、民事においては想定外の損害賠償請求や慰謝料請求が突きつけられ、刑事では刑事罰を受ける可能性が高い。
「周囲に迷惑をかけない」が人としての理想的な生き方である。過去において、同様の蛮行の経験ある人は、自らの背中をじっくりと客観視することで、自らの人生を見直した方が宜しかろうと。
大人になりきれない大人を、筆者は「コドナ」と呼んでいる。事件にはなってはいないが、「コドナ」は周囲に沢山存在し、挙動不審である。気付かぬは本人ばかりで、大なり小なりの「失態」を続けている。
自らの「民度」を自己分析してみれば、一目瞭然。「周囲に迷惑をかけず、周囲の人たちが喜ぶようなことをする!」が一番。そうなれば、「積善之余慶」という、立派な人生となるに違いない。