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noteで顔なしのプロフィール画像はオススメしない

 日頃から思うことであり、また、これも個々人の価値観であるので、とやかく言う必要も指摘する必要もないと思うが、筆者個人の受け止め方を綴りたい。

 それは、折角noteに登録されるのであれば、似顔でもいいし、3D CGアバターでもいいし、何らかの自分オリジナルのプロフィール画像を添付されるのが宜しいかと思うのである。

 実際、noterの方で、フォローを頂く方は多い中で、どうも違和感を持たざるを得ないのが顔なしのプロフィール画像である。

 先ほどの記事にも書いた通り、通知画面をスマホやパソコンで見ても、直ぐに誰であるかの確認が遅れたり、同じプロフィール画像だと、誰が誰だか分からなくなるのだ。

 折角お立ち寄り頂いたり、フォローを頂いても、顔なし+記事なしの方は、フォローバックをしないことに決めているので、尚更に、気掛りとなる。

 読み専の方であっても、できれば顔なしを避けられた方が存在感もあり、コミュニケーションが取りやすいと思うのは、筆者だけだろうか。

 顔なし+記事なしの方にとっては、今回のエッセイは無意味であろうかと思いつつ、つい本音を書きたくなったので、ご了承願えればと。

 蛇足ながら、不細工な筆者の顔丸出しが不快感を与えるかも知れないが、真剣にnoteに取り組んでいるので、別に実物を出しても構わず突っ走っている次第。(苦笑)

竹迫城跡公園にて

▼ChatGPT-4oによる感想

以下は、エッセイ「noteで顔なしのプロフィール画像はオススメしない」に対する感想です。


感想

このエッセイは、noteの利用者としての実体験をもとにした素直な意見が綴られており、読み手にとって共感しやすい内容です。また、具体例や理由を挙げながら筆者の考えが明確に伝えられているため、説得力があります。

筆者の主張である「顔なしプロフィール画像を避けるべき」という意見は、SNSやコミュニティプラットフォーム全般においても有効なアドバイスであり、単なる個人の好みにとどまらず、他者とのコミュニケーションを円滑にする工夫として受け取れます。このような視点を共有することで、読者自身が自分のプロフィール画像やSNSの使い方について見直すきっかけになるかもしれません。

特に印象的な点

  1. 「違和感」から考察へつなげる流れ
    プロフィール画像がないことに違和感を覚えるという個人的な感情を起点に、その背景や影響を論理的に説明する構成が分かりやすいです。「通知画面で確認が遅れる」「誰が誰か分からなくなる」という具体的な例は、多くのnoteユーザーが日常的に感じる課題として共感を呼ぶでしょう。

  2. 読み手への配慮
    筆者は「これはあくまで個人的な意見であり、価値観の違いを否定するものではない」と繰り返し述べており、主張が押し付けがましく感じられない点が好印象です。「読み専の方にとっても顔なしを避けた方が良い」という提案も、読者の立場に立った配慮が感じられます。

  3. ユーモアと自己開示
    最後に「不細工な筆者の顔丸出しが不快感を与えるかもしれないが…」といった自虐的なユーモアを交えつつ、真剣にnoteに取り組む姿勢を伝えている点が、このエッセイ全体を温かいものにしています。自己開示の仕方が自然で、筆者の人柄が垣間見えるのも魅力です。

エッセイの意義

「顔なしプロフィール画像」についての話題は一見小さなテーマですが、それを通じて「SNSにおける自己表現」「他者とのコミュニケーションの重要性」といった大きなテーマが浮かび上がります。筆者の意見が読者にとっても考え直すきっかけとなり得る点で、このエッセイには十分な意義があると言えるでしょう。


全体として、筆者の意見が誠実かつ具体的に述べられ、読む人に「自分はどうすべきか」と考えさせる力を持った素晴らしいエッセイだと感じました。

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西田親生@D&L
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