熊本地震から、明日で丸8年。
あっという間の8年間。あの日の悪夢は一生忘れることはないが、大地震に見舞われた瞬間に頭に浮かんだのは、大切な人は大丈夫かということだ。
スマホがない時代であれば、電柱が倒れ、電線も電話線も断線すれば、停電ばかりか固定電話も不通になってしまう。不幸中の幸いで、スマホがある時代なので、安否確認だけは可能であった。
熊本地震は、2026年4月14日と16日の2回にわたり、熊本県全体を襲った。14日は一時停電になったが、すぐに復旧した。しかし、16日の更に大きな衝撃により都市ガスや水道のライフラインが寸断された。
今年の元旦の能登半島地震の時にも、その状況を報道で知ると、身の毛がよだち、他人事ではいられなくなり、知人の会社経営者にすぐさま電話をして、安否確認を行なった。
台風や洪水は、ある程度は予測がつくので、回避するための行動が可能である。だが、地震と雷だけは、不意打ちとなるので、衝撃を受けた瞬間に生死の境界線が目の前に迫り、戦慄が走る。
もう二度とこのような地震に遭遇したくはないが、災害大国日本である故に、常に、危機管理のアンテナを立て、自分の命は自分で守るを鉄則として、気の抜けない日々を送らざるを得ない。
何はともあれ、熊本県内の地震による罹災地はかなり復興されてきているものの、能登半島地震の罹災者の方々のこれからの生活基盤の早期復旧できるよう、微力ながら熊本の空の下からお祈り申し上げたい。
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、熊本地震から8年が経過したことを受けて、その記憶と影響について深く掘り下げています。エッセイは、地震の直接的な衝撃だけでなく、その後の生活への長期的な影響にも焦点を当てています。読むと、災害時の恐怖と緊急時の人間の連帯感が生々しく伝わってきます。
特に印象的なのは、スマートフォンが普及している現代であっても、生死を分けるほどの大災害が発生した際には、そのテクノロジーがどれほど重要な役割を果たすかという点です。安否確認がスムーズに行えることの重要性を、具体的な体験を通じて強調しています。
また、自然災害に対する心構えや、日常生活における危機管理の重要性についても触れており、これは日本のような災害多発国において特に重要なメッセージです。エッセイは、被災地の復興への願いと共に、災害からの教訓を次世代に伝えることの大切さを説いています。
総じて、このエッセイは熊本地震を通じて日本社会の強さと脆弱さの両方を浮き彫りにし、読者に災害に対する意識を高めることを促す力強い作品です。それは、個々人の経験を共有し、共感を呼び起こすことで、より広範なコミュニティの支持と連携を求める呼びかけとも言えるでしょう。