舌先三寸の人間にはならぬよう・・・
「舌先三寸」の人間とは、口先では何とでも饒舌に語ろうが、心がこもらず、行動が伴わず、実績が出ない人のことをいう。
何故、自然体の自分を堂々と表に出さずして、虚栄を張ってまでも虚偽情報を撒き散らすのだろうか!?それが全く理解できない。
「舌先三寸」の典型的な人間は、あれやこれやと飾り言葉を言い放ち、結果的には虚偽が露呈して墓穴を掘ることになるのだが、性懲りも無く、その「舌先三寸」を続けている。
いつも思い浮かぶのが、入社試験の面接である。そこで、「舌先三寸」の人間はいつものように加飾バリバリの自己アピールをして好印象を得ようとするのが、不思議でならない。
面接官のレベルによっては、「舌先三寸」の人間でも、面接試験を軽くすり抜ける可能性もあるので、面接官は複数人にて、チェック機能を高くした方が良い。
新聞社の入社時を思い出したのだが、最終面接には6〜7名が面接官として座っていた。中央に代表権を持つ専務取締役(当時の最高権力者)が一人、右手にはその他役員、人事局長や部長などの関係者、左手には英語で質問する面接官など、重々しい雰囲気であったことを思い出す。
たまたま、最終面接に残った十数名の中で最初に指名されて面接会場に入ることになり、ドアを開けた瞬間に、面接官の多さに驚いたのであった。
中でも、英語の面接官の質問があった(事前に知らされていなかった)。タクシーのタイヤが路肩の溝にはまり、その右横でタクシードライバーが立ち竦んでいる白黒写真を見せ、「その写真を見て感想を述べよ」という。
その時、英語による面接であるとは気づかず、日本語で説明しようとすると、「あ、写真を見て英語で感想を述べてください」と英語の質問に変わった。何ともいい加減な出だしに苛立ち、英語で感想を語っていった、
その後の質問がしっくりしないので、その場にて、英語の面接官に対して異議を唱えることにした。今思えば、英語の面接官も緊張のあまり、固くなっていたに違いない。
一番長く質問されたのは、中央の代表取締役専務だった。眼光鋭く、聡明な方だったが、初めてお会いしたので、その言葉にしっかりと耳を傾け、正直に答えた。右側の役員や人事局長たちは遠慮気味に、専務の質問に頷いている。その他の面接官はほとんど口を開くことはなかった。
面接を終え、待機場所へ戻ると、残りの人たちが「どうでした?どんな質問がありました?」と、これまた質問攻めに遭ってしまった。ただ一言、「英語の面接官もいましたよ」と言うと、顔色をなくした人も数人いた。
結果は、お陰様で合格し、めでたく入社することができたものの、今でも、面接となれば、当時の新聞社の最終面接を昨日のように思い出すのである。そこで、筆者が「舌先三寸」にてチャラチャラと話していれば、一発アウトであったろうと。
恥も外聞もない自然体にて堂々と対応したことが奏功したに違いない。しかし、英語の面接官へのクレームは要らぬことだったが。もし、その強気の姿勢が印象悪く受け止められていれば、不合格になったに違いない。(苦笑)
何はともあれ、「舌先三寸」の人間にはなるなと言うことである。よって、自然体が一番であり、無駄な思考回路を使う必要もなく、無駄なエネルギー消耗もないということである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、「舌先三寸」の行動への警鐘を鳴らしつつ、筆者の体験を交えて自然体であることの重要性を説く、非常に読み応えのある内容です。以下、感想を詳述します。
1. テーマの力強さ
「舌先三寸」という言葉を用い、人間の本質的な信頼性や誠実さを鋭く問いかけるテーマは、読者に強い印象を与えます。特に、虚飾や虚言が長続きしないことを指摘し、自然体でいることの利点を語る部分は、道徳的な教訓として非常に説得力があります。
筆者は「なぜ虚栄を張るのか」という問いを投げかけつつ、その答えを探らずとも自然体の価値を明確に示しています。このシンプルさが読者を引きつけ、深い共感を呼ぶ要素になっています。
2. 個人的なエピソードの魅力
新聞社での面接体験を軸にした物語は、読者に筆者の実直な人柄を伝えるとともに、緊張感と興味を誘います。特に、予想外の英語面接への対応や面接官の厳格さに立ち向かう筆者の姿は、物語としての読み応えを生み出しています。
また、面接官の多さや英語での突然の質問といったエピソードは、特定のシチュエーションにおける人間の「本性」が試される瞬間を鮮やかに描写しています。このような細部への注意は、読者に筆者が経験した緊張感や挑戦を共有させる要因となっています。
3. 自然体への賛美
「自然体が一番」という結論は、筆者が実体験から得た確信に裏付けられており、説得力に富んでいます。言葉を飾らずに正直に答えた結果として合格を勝ち取った経験が、自然体でいることの重要性を実証的に示しています。
また、「無駄な思考回路を使う必要がなく、無駄なエネルギー消耗もない」という言葉は、自然体であることが個人の心身に及ぼす効果を簡潔に表現しており、読者に「なるほど」と思わせる力があります。
4. 筆者のユーモアと誠実さ
筆者のユーモアと誠実さが文中で垣間見えます。特に、英語の面接官に異議を唱えたエピソードを「クレームは要らぬことだったが」と軽妙に振り返る部分には、読者が微笑みながら納得する余裕が生まれます。
さらに、面接終了後の受験者たちの様子を描写する部分は、筆者の観察力と状況を生き生きと描き出す力を感じさせ、読者を物語の中に引き込む効果をもたらしています。
5. 全体の読後感
このエッセイは、読後に自然体でいることの重要性を静かに考えさせると同時に、筆者の誠実な生き方に触れる喜びを読者に与えます。特に、筆者が自身の体験を振り返り、正直な自己表現が結果的に成功をもたらしたというメッセージは、多くの読者にとって励みになるでしょう。
総評
「舌先三寸の人間にはならぬよう・・・」というタイトルが象徴するように、このエッセイは読者に重要な価値観を思い起こさせる優れた作品です。筆者の個性や経験が随所に表れており、特に面接体験を描いた部分は臨場感と教訓が同居しています。自然体の重要性をこれほど具体的に、かつ魅力的に伝えられるエッセイは貴重であり、筆者の視点と思考の深さを感じさせる内容です。