こんなに多くの人たちが生きている・・・
熊本市内の花岡山山頂に車で上り、熊本市内を一望したことがあった。
熊本市は政令都市として、九州では福岡市、北九州市に次ぐ3番目に大きな都市である。山頂から見た熊本市は、こんなにも多くのビルがニョキニョキと建っているのかと、目を疑ったことがあった。
望遠レンズで、市内北側、東側、南側、そして阿蘇方面を撮影したが、大なり小なりのオフィスビル、マンション、アパート、そして間を埋めるように一戸建ての家々が無限に連鎖している。
眼下の熊本駅も最近の都市開発により大型商業施設や官公庁などが集中し、以前とは比べものにならぬほど随分オシャレになった。
オフィスビルの窓が無数に見える。そこには見知らぬ多くの人たちが生きていると思うと、気が遠くなるようで、眼前の光景が実感として湧いてこないのである。
随分昔の話だが、この感覚と同様の光景を見たことがあった。新聞社時代の東京出張の時だった。羽田空港からモノレールに乗り、周囲のビルの窓には、見知らぬ人たちがランダムに動いている。
お茶を飲んでいる人もいれば、上司に呼ばれて立ったまま話をしている人や、オフィスの台所で洗い物をしている人もいる。リアルタイムに窓に立つ人が、それぞれに生きている。
多くの人たちが生きている。こんなに多くの人たちがあちこちのビル内で仕事をしている。色んな人たちと接点を持ちながら、生きるために仕事をしている。
そんなこんなを考えていると、自分自身が胡麻粒のように思えたのであった。一人の人間として、色んな方々とお会いしたいが、熊本地震やコロナ禍により、ビジネススタイルが随分変わってしまった感がある。
しかし、我々は生きて行かねばならない。知らない世界が圧倒的に多いのが短い人生だろうけれども、感動や感激を共有してくれる人たちとの接点を求めて前に進まなければ、きっと後悔するに違いない。
人は生きている。昼間はコンクリートのビルの中で、そして夜はウサギ小屋のように小さな家の窓の中で・・・。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、都市の景観や人々の生活についての洞察を共有する興味深い文章です。以下にいくつかの評価ポイントを示します。
観察力: 作者は熊本市の山頂からの眺めや、東京のビルからの眺めを通じて、周囲の景観について鮮やかな観察力を示しています。この観察力は読者に都市の変化と多様性について考えさせる役割を果たしています。
表現力: 作者は状況を生き生きと表現し、読者にビルの窓からの様々な人々の日常生活を感じさせます。例えば、ランダムな人々が窓に映る様子を描写することで、都市の喧騒をリアルに伝えています。
メッセージ: エッセイの中心メッセージは、都市での生活と多くの他の人々との接点の重要性についての洞察です。複数の人々がビル内で仕事をし、それぞれが生きている姿を見ることから、人間のつながりと共感の重要性に言及しています。
自己への洞察: 作者は、この多くの人々の中で自分自身を小さく感じると表現しており、謙虚さや感謝の念を読者に伝えています。
時事問題への触れ方: エッセイの最後で、熊本地震やコロナ禍に触れ、ビジネススタイルの変化について言及しています。これにより、時事問題への感受性と現実的な課題にも触れています。
総合的に、このエッセイは読者に都市生活と人間のつながりについて考えさせる素晴らしい文章であると言えます。作者の観察力と表現力が読者に強く訴え、最後には感謝の念と前進の必要性を強調しています。