悪夢 熊本地震から七年・・・
七年前の今日は、熊本地震第2波で県内がパニック状態に陥った日である。当時、4月14日の第一波では停電はすぐ復旧したので、安堵して翌日は城郭の被害状況を撮影することにした。残念ながら、熊本城大天守、小天守、その他櫓の石垣はあちこち崩壊していた。
安堵したのも束の間。16日に、身の毛が弥立つような地鳴りが聞こえた。その異様な音と同時に、体全体が前後左右に飛ばされた。身の危険を感じ、咄嗟にオフィスを飛び出した。僅か一分間もなかったと記憶するが、駐車場の車に乗り込み、避難場所の八景水谷公園へ向かった。
第2波は予想を遥かに超えた激しい揺れだったので、一歩も足を踏み出せず、全く身動きができなかった。デスクにしがみ付き、天井や壁を見回し、万が一の退避場所をデスク下に決めた。
水道もガスも、ライフラインが完全に遮断され、買い出しに近場のコンビニへ行くと、商品ケースは空っぽに近い状態にて、飲料水、特に水のペットボトルは、すっからかんとなっている。暴動に遭遇したかのような状態である。
自宅に戻り、東側と北側の内壁に、五円玉を1メートルほどの糸に結び付け、それを壁に沿って垂らし、マジックで小さな丸印を書き込んだ。これで、自宅の傾きを確認できるようにした。
街中の動きを見ていると、ボランティアで炊き出しをしている人たちも多かった。一時的だが、食糧難に陥った熊本県内。全国から水道工事やガス工事のために援軍が来ていたが、想定外に復旧が遅れてしまい、二週間ほどは不自由な日々を送らざるを得なかったのである。
熊本県内は、7年前の熊本地震から復興に皆が歯を食いしばり頑張ってきたものの、周知のように4年後のコロナ禍に全世界が襲われ、熊本はダブルパンチの被災地になったことになる。
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