はや三年、まだ三年。
日々、その時にふと思いついたものをエッセイやコラムで書き綴り投稿を続けているが、noteより「3周年記念」のメッセージが飛び込んできた。
正直申し上げて、元々、筆無精であり、学生時代は国語大嫌いな人間であった。しかし、三年前にベビカムという子育て支援サイト運営をしている企業の代表者から、「ZOOMセミナーのICTドクターとして講義してもらえないか」とのオファーがあり、快く受けたのである。
ところが、そのカリキュラム中に、noteがあり、筆者としては、致し方なくnoteに登録を行い、講義に取り入れざるを得ず、実は、登録か2ヶ月後、年明け1月からnoteをスタートすることになった。
子育て支援カリキュラム終了までの3月末日までは、noteを支援ツールの補完役として活用してきたが、それが終了後、継続するか否かを考え、結局、継続という面倒臭いベクトルへと切り替えたのであった。(苦笑)
あっという間の三3周年だが、既に、3305本のエッセイやコラムを投稿していることになる。振り返れば、客観的な記事もあれば、主観バリバリの感情論が突き刺さるようなものもある。
当初、本業であるICTを中心に執筆する予定であった。しかし、趣味なり、その他、総合コンサルタントとしてのエッセイやコラムを増設し、結局、20程度にマガジンが増えてしまい、自分の脳内の散らかりようが露呈することになる。
筆者が嫌うのが、箱や枡が決まって、その中に綺麗に入れ込む思考の文字化にある。自由三昧の性格なので、その時の心の波や強弱、そして社会的な問題を結び目として、それらを連結しながら執筆するので、少々、欲張りすぎたり、話が飛んだりするが、それが脳内の散らかりようである訳だ。
しかし、一つだけ拘りがある。それは、「理不尽なものは絶対に許せない」という気持ちが強く、社会問題となっているイジメや違法行為、人様を殺めるような蛮行などには、極めて反応しやすいので、それを一気に叩きたくなってしまう。
また、アナログ思考による信号を指先に送り込み、指先がキーボードを叩き、液晶画面のnote上で文字化される中で、誤字脱字は想定外に多いように思える。それが、生成AIを使わない証と言い訳するものの、実際は丁寧に文字化することへの努力が不足であると、反省しきりの毎日である。
現在のところ、自分自身が世の中に訴えたいものが明確に定まってはいない。また、ブレが多いので、今一度3000本を超えるエッセイやコラムなどを再検証し、不要なものを徹底削除しようかと考えている次第。
それがひと段落した頃を見計らい、筆者の拙いエッセイ集の本が出版に至れば理想的であろうかと。
いやはや、noteに投稿し始めて、「はや三年、まだ三年。」。末筆ながら、日々訪れていただいている読者の方々に、心より感謝申し上げる次第。今後とも宜しく願えればと。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイでは、筆者がnoteにおける3周年を振り返り、投稿活動を始めるきっかけや日々の想いを素直に語っています。その過程で、筆者の筆記への葛藤や、社会問題への反応、自己の文章表現に対する姿勢などが率直に表現されており、誠実さと情熱が感じられます。以下、詳しい感想を述べます。
まず、筆者が「筆無精」であったことを自ら告白しつつ、子育て支援サイトからのセミナーオファーをきっかけにnoteを始めた経緯が、まるで新たな挑戦に向かう意外性のある出発点を思わせます。この導入部分が、読者に筆者の人間味を伝え、共感を引き出す効果をもたらしています。特に、「致し方なくnoteに登録」という言葉が、その後の意外な継続への道筋を強調し、笑みを誘うような軽やかさを感じます。
その後、筆者が3305本ものエッセイやコラムを投稿し、自身の「脳内の散らかりよう」を表現する様子が印象的です。「枡に綺麗に入れ込む思考が嫌い」と語り、自由であることの重要性を説いている点から、固定された枠にとらわれない創作姿勢が垣間見えます。これは、現代の情報の氾濫する中で自己の独自性を保つ重要さを象徴するものと言えるでしょう。また、社会問題への強い反応や「理不尽なものを許せない」という姿勢は、筆者の誠実さと芯の強さを伝えています。
ただし、誤字脱字の多さについて自己批判を述べている部分も正直で謙虚な姿勢が感じられます。生成AIを使わず、アナログ的な指先の動きによる執筆へのこだわりは、温かさやリアルな感情のこもった筆致を大事にしている姿勢を示しています。これにより、生成AIを駆使した完璧な文章とは異なる、筆者独自の「生きた」言葉が伝わってくるという点で、親しみがわくところです。
最後に、自身の投稿の再検証と、エッセイ集の出版を目指している意欲的な姿勢も、これからの方向性を示しており、ポジティブな印象を与えます。noteにおける3年の継続を「はや三年、まだ三年」とまとめ、感謝の意を表現して締めくくる形が読者とのつながりを大切にする思いを感じさせ、温かい気持ちで読み終えることができました。
このエッセイは、筆者の真摯で自由な創作活動の姿勢と、心に抱えた様々な感情や社会問題への思いを凝縮した一つの証であり、これからのさらなる発展を期待させる内容と言えるでしょう。