
滑稽な地方の「どんぐりの背比べ」現象
地方はどうしても狭い領域の中での関係性が強く、いつの間にか常態化したローカルスタンダードにより、不可思議な上下関係を重視する傾向がある。
例えば、シティホテルの玄関先の動きを見ていると、銀行系やホテル株主などを最優遇する「形(カタ)」があるホテルもあれば、グローバル感覚のフラットな「形」のホテルもある。
特に、地方の民間企業は、自社一社のCEOであるにも関わらず、ホテル玄関先では他社のCEOのような太々しい態度を目の当たりにするのだが、滑稽で仕方がない。
よって、民間であるのに政治問題にプレッシャーを掛けたり、地方の中小企業の総大将のような動きをする人物も少なからず。昔から全く変わらぬ現象が現在に至っている。
兎に角、政治色が強く保守的であり、この世をコントロールできる党派への忠誠心は並々ならぬものがある。よって、多数派を絶対権力と勘違いしており、少数派を軽視し、他社批判や政治批判などの団体行動を繰り返す。
狭い地域ならではの一方的なピラミッド構造を構築するのは、権利権力への固執の表れである。他社への発言権の源と見做しているのか、新たな都市計画ともなれば、自社以外の事案についても、一目散にツッコミを入れるようなスタンドプレイが絶えない。
某全国紙の統帥の地方版と言っても宜かろうと。しかし、我々庶民には全く関係のないことであり、価値もご利益もない。自社のCEOであれば、自社に関わる業務を更に進化させるのがCEOとしての舵取りの役目であるのだが。
また、銀行系のトップの所作には呆れ果てることが多い。預金する、銀行を利用する人々や会社のお陰で銀行業が成り立っているにも関わらず、高級車を公用車として、利用者へは感謝どころか、恫喝とも取れるような動きをする銀行員の姿もある。
商工会にしても、特に田舎に行けば、地場の有力者とされる少数の仲間との癒着が盛んで、水面下では有力者へは好条件助成金情報を優先して流し、他の零細企業へは、搾りかすのようなものを提示するばかりだと、聞き及んだことがあった。
このように、民主国家であるべき姿が、どこにも見えないところが、地方の実態である。あちこちの地方において時代錯誤も甚だしく、旧態依然とした権力組織図を継承し、善意ある庶民の民意が反映されない状況下にあるのは、否めない事実であり、民主国家とは程遠いものである。
それが、地方から政権中枢に最大党党員として、議員として、束となり昇ってくるのだから、結局は、政権中枢もローカライズされた諸々のものが付随しているからこそ、事件報道番組にて、恥ずかしいほどの詭弁を展開するのである。
どこにも民度高き日本国民の理想像など垣間見ることはできない。私利私欲や既得権益者との水面下での密約などが常態化しており、どんなに正統派の報道機関が突こうが、最後まで膿が出ることはない。
現上皇陛下のお言葉の中で「民度高き国民」という言葉が印象深く、今でも鮮明に覚えている。しかし、上述の通り「どんぐりの背比べ」であったり、自社とは無関係な公共事業に口を挟むようでは、「民度高き国民」とは言い難く、真逆の所業ではないかと思うばかり。
このようなローカルスタンダードを浄化するには、並大抵の努力をしても、根本から改善されることはなく、ただ、何年、何十年経っても、「どんぐりの背比べ」の中での威張り合いで終わってしまうのだ。
勿論、世の中の監視役としての役目を果たすべきマスメディアにも問題がないとは言い難い。特に、最近は倫理性に欠ける事案が多く浮上しており、国民が安心して過ごせる国家となるための、メスの入れようが適切でない。
世の中には理不尽なる不正はつきものだと言ってしまえばそれまでだが、善意ある庶民を誰が守ってくれるのかと問えば、何と答えが返ってくるのだろうかと。税金が変異した税金と名の付かぬ存在など、経済政策における愚策連続の賜物ではないか。
二重、三重に吸い取られる、後付け変異税金。昔々の租庸調の時代とほとんど変わらぬように思えてならない。国家機関である各省庁が保有するのは権利権限ではなく、国を支える公務としての重責である。よって、全てにガラス張りの民主国家たる姿を披露されては如何なものかと。
蛇足ながら、政権中枢がこのような状態であるからこそ、地方は更に根腐れを起こしてしまうのである。よって、無意味で無価値な「どんぐりの背比べ」現象が延々と続いているのである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このコラムは、地方における権力構造の硬直化や、閉鎖的なローカルスタンダードによる弊害を鋭く指摘したものだ。特に、地方の企業経営者や銀行、商工会といった組織が、互いに影響を及ぼし合いながら既得権益を守ろうとする様子が、実例を交えながら生々しく描かれている。
1. 地方の閉鎖性と「形(カタ)」
コラムの冒頭で、シティホテルの玄関先での動きを例に挙げている点が興味深い。「銀行系やホテル株主などを最優遇する形」と「グローバル感覚のフラットな形」との対比によって、地方における保守的な階級意識がいかに根強いかを浮き彫りにしている。特に、「他社のCEOのような太々しい態度」という表現は、地方の経営者がいかに「権威を見せつけること」にこだわるかを端的に示している。
2. 政治と経済の癒着
地方では、政治的な力関係が企業活動にも影響を及ぼしているという指摘が強調されている。地方の中小企業経営者が「総大将」のように振る舞い、政治的な影響力を誇示する様子は、「権力の私物化」とも言えるだろう。特に、「党派への忠誠心が並々ならぬ」という表現からは、政治とビジネスが癒着し、経済活動が公正な競争ではなく「政権中枢への忠誠度」によって決まる様子が伝わる。
3. 地方銀行の問題
地方銀行のトップの振る舞いについて、「預金する利用者のおかげで成り立っているにも関わらず、感謝どころか恫喝とも取れるような動きをする」との指摘は、金融機関の権力構造を端的に表している。特に、地方銀行が「地元企業に対して過剰に支配的な態度を取る」という問題は、全国各地で共通する課題と言える。
4. 商工会の不透明性
商工会に関する記述では、「地場の有力者が好条件の助成金情報を独占し、零細企業には搾りかすしか回ってこない」との指摘がある。地方の経済団体が本来果たすべき「地域経済の活性化」という役割を果たさず、一部の有力者に利益を集中させる構造が、地方経済の硬直化を招いていることが伺える。
5. 地方と中央の連動
「地方から政権中枢に最大党党員として昇ってくることで、政権中枢もローカル化される」という指摘は、地方の権力構造が全国レベルにまで波及していることを示している。地方のピラミッド構造が中央政治にも反映され、結果として「事件報道番組で詭弁を展開する政治家」が生まれる、という論理展開は鋭い。
6. 民主主義の形骸化
「民主国家であるべき姿が見えない」との指摘は、地方だけでなく日本全体の政治構造にも当てはまる。地方においては「庶民の民意が反映されない状況」が常態化しており、結局のところ「どんぐりの背比べ」から抜け出せないという視点は、問題の根深さを示唆している。
7. メディアの役割
コラムの終盤では、マスメディアの問題にも言及している。特に、「最近は倫理性に欠ける事案が多い」との指摘は、報道機関が社会の監視役としての役割を十分に果たせていないことへの批判として受け取れる。報道機関が真実を追求せず、既得権益層との結びつきを優先することで、不正が放置される構造になっている点は、非常に重要な視点だ。
8. 租庸調との比較
「租庸調の時代とほとんど変わらない」という指摘は、日本の税制度がいまだに「民衆から搾り取る構造」にあることを示唆している。特に、「二重、三重に吸い取られる後付け変異税金」という表現からは、消費税や各種間接税の重さが庶民にのしかかっている状況が伝わってくる。
総評
このコラムは、地方の閉鎖的な権力構造が、政治や経済、社会全体にどのような影響を及ぼしているかを鋭く描写している。特に、地方の「どんぐりの背比べ」的な競争が無意味でありながらも続いていることを、具体例を挙げながら批判している点が印象的だ。
また、「民主国家とは程遠い」「庶民の民意が反映されない」という指摘は、地方に限らず日本全体の政治構造への批判としても読むことができる。政治・経済の癒着、メディアの堕落、税制度の問題など、多方面にわたる鋭い指摘が散りばめられており、社会の根本的な構造問題を改めて考えさせられる内容だった。
いいなと思ったら応援しよう!
