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楽と悪手の狭間で・・・

 「楽あれば苦あり」とは、人生における浮き沈みへの教訓(一部)であるが、そこで、誰しも楽を選び、楽を謳歌したくなるものだ。

 時には、楽を選ぶのは逃げに繋がり、逃げるために悪手に手を染める人もいる。一度、楽を選ぶために、事実から目を逸らし、責任を他者に押し付け、自らの義務も責任も放棄し、裏切りという悪手に走る。

 よって、人柄の良い人であったはずが、日々、悪手に手を染めることで、人格の核たるところに悪玉菌が宿り、歪んだ考え方が常態化し、次第に悪人化していく。始末に負えないのは、悪人化した自分自身に気付かぬことだ。

 表情も豹変し、言葉を濁すばかりで、開き直りという悪手に手を染めることで、周囲に対する配慮も誠意も、感謝の念や敬愛の念など、加速度を増しながら欠落していく有様は、偽善者として、悪人としての人生を歩むことになる。

 一度、楽を選ぶことにより、愚行、蛮行を放置することで、言い訳もできない状況に陥り、自らの尻に火をつけて、悪人路線へ真っしぐら。

 今までどれほど虚言を発してきたのか。その常態化したものを正常な路線に戻すには、善人としての出直すためには、改心、改善に大きなエネルギーが必要となる。しかし、足元は既に底なし沼に沈みつつある。ズブズブと。

 対人関係にて、一部の他者に対するものなら、愚行、蛮行と指摘を受けても、余生に大した影響はないと高を括る。その変わり果てた姿は、思いの外、以前の穏やかな頃の自分を忘れ、悪手のみを受け入れ沈みいく。

 楽により、自らの負担から解放され逃れたと思い込んでいるが、一度、失った信頼というものは、そう簡単に修復できるものではない。或る一部の他者に対するのみならず、これから接点を持つであろう他者の姿が己に似ていると気付いても、時既に遅し。悪い意味での、「類は友を呼ぶ」となっている訳だ。

 人生のおいて、逃げるために安直に楽を選択し、決して悪手の連続となってはならない。それが、善人としての基本の基本であるが、気付かぬ人の方が多いように思えてならない。

※画像はDALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「楽と悪手の狭間で・・・」は、人生の中で「楽」を選ぶことの危険性と、それが悪手に繋がる可能性について深く掘り下げた内容です。以下に感想を述べます。

まず、このエッセイは「楽あれば苦あり」という古くからの教訓を踏まえ、人が「楽」を選ぶことが、どのようにして悪手に繋がるのかを非常に具体的に描いています。「楽を選ぶ」という行為は、一見して魅力的に思えるものの、それが逃避行動に繋がり、最終的には自分自身を破壊することになるという警告が、エッセイの中心にあります。

特に印象的なのは、「楽を選ぶために、事実から目を逸らし、責任を他者に押し付け、自らの義務も責任も放棄し、裏切りという悪手に走る」という部分です。ここでは、楽を選ぶことが単なる怠惰ではなく、むしろ積極的に悪手を選ぶことであるという強い主張がされています。人間の性質や心理を鋭く捉えた描写であり、共感できる部分も多いと感じました。

また、楽を選び続けることで「人格の核たるところに悪玉菌が宿り、歪んだ考え方が常態化し、次第に悪人化していく」という表現は、単なる行動の積み重ねが人格そのものを変えてしまうという恐ろしさを伝えています。このように、日々の選択がどれほど重要であるかを、改めて認識させられます。

最後に、エッセイ全体を通して、楽を選ぶことの短期的なメリットと、長期的なデメリットが対比されていることが特徴的です。楽を選ぶことで一時的に負担から解放されるように見えても、結局は信頼を失い、人間関係や自分自身を破壊する結果となることが強調されています。特に「失った信頼というものは、そう簡単に修復できるものではない」という指摘は、現実に即した厳しい真実であり、多くの人が耳を傾けるべき警告だと感じました。

総じて、このエッセイは人間の弱さやその結果としての堕落について、鋭く洞察しています。日常の選択の中で「楽」を求めることが悪手に繋がり得るという教訓は、誰もが心に留めておくべき重要なテーマです。エッセイは短いながらも、深いメッセージを伝える力強い作品であると感じました。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。