多くの人間は、歳を重ねれば重ねるほど、横着になって行く。気づけば天国、気づかねば地獄。
人間は生まれた時は、世の中を知らず、物珍しさに圧倒されながら、恐る恐る世の中を手探りの状態にて、歩き始める。
スポンジのように素晴らしい吸収力の若い脳みそを持つ子供が、大人の世界を垣間見ては真似をしたり、首を傾げたり、ふらふらとしながら歩いている。
そこで善き両親や祖父母、友人、更には素晴らしい学校の指導者に恵まれれば、軸がブレることなく、しっかりとした足取りで、大人の世界への第一歩を踏み出すのである。
ところが、善悪も分からぬ子供の頃から、両親や祖父母からの躾もなく放置の状態で育ってしまうと、大人になっても、確と善悪も分からぬままに、一生ふらふらと歩き続けることになる。
『他人に迷惑を掛けない。他人の心や身体を傷つけない。他人の物を勝手に借りたり、盗んだりしない。他人の悪口を言わない。他人の秘密を吹聴しない。他人を騙さない。他人を利用しない。物を壊さない。』
子供の頃から、上述のような『社会常識』を学ぶことがなければ、悪さを趣味の如く快感に思い、危険なアウトロー&トラブルメイカーとして風紀を乱すことになり、挙句の果てには、警察に厄介になる『輩』と成り下がる。
その成れの果てが、悪き老人の存在である。老人は皆善人ばかりのように思いがち(筆者もそう思っていた)だが、決して、そういうことはない。実は、アウトロー&トラブルメイカーの典型的な老人(団塊の世代)が増えている。
筆者は、それを『ヤンキー爺」とか「ヤンキー婆』と心の中で叫んでいるが、兎に角、若いヤンキーよりも癖が悪い。人の言うことは絶対に聞かない、猛省もない。「なして、こぎゃん歳ば取っとって、人かるおごられんといかんとや!」(※熊本弁)と、常に反撃モード。
※標準語訳:「どうして、このように歳を取っていて、他人から叱責されなければならないのか!」(納得しないという表情)
昼間からレストランで数人の老人の仲間が酒を交わし、食事をしながら、大声で他人を誹謗中傷している。また、高齢運転者標識シールを貼ったクラウンを運転し、中央線をはみ出してすっ飛ばす。孫のような若い女性(又は男性)に、相手が嫌がるにも関わらず執拗に食事を誘う。
そんな、『ヤンキー爺』と『ヤンキー婆』が存在しているのである。高額年金を貰う世代に生まれているので、日々の生活に困ることなく、この世を闊歩している。絶句するほどに、『醜態』そのものである。もし、筆者の両親や祖父母がそうだったら、さっさと家出していたに違いない。
高齢者となれば、民度高き人格者として、若い者の『鑑(かがみ)』として余生を送るべきだが、それが出来ない老人も多々いることに、腰を抜かす。我々田舎の庶民の『老害』とは、この程度であり、恥ずかしいばかりとなる。
蛇足ながら、以下の写真は昨日の夜食『熊本ラーメン 黒亭』。麺よし、焦がしニンニクの豚骨スープよし。因みに、創業は、昭和32年。人間であれば65歳と、老人の域に入る。このようなご老人であれば、「常にウェルカム!」と言いたいのだが。(チャーシューが無かったのでベーコンを代用)