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方言の面白み・・・熊本弁の「たい」

 以下は、頭が壊れた駄洒落野郎たちのたわいもない会話である。


司会者:熊本弁で「・・・たい」とは、標準語で言うと?

駄洒落野郎A:「・・・たい」は、「・・・鯛」だよ。真鯛、笛吹鯛とか。

駄洒落野郎B:違う、違う。「・・・だよ」だよ。

司会者:正解は、「・・・だよ」なんだね!?

司会者:では、「笛吹たい」とは、ダイレクトに「笛を吹きたい」?

駄洒落野郎B:いやいや、「笛吹鯛」だったら、「笛吹鯛たい」だよ。

司会者:なるほど、「笛吹鯛だよ」ってことだね?

司会者:では、この筆者が好む「自然体」を熊本弁で言うとどうなる?

駄洒落野郎B:それは「自然体たい」だろ。

司会者:「自然隊」?、「自然鯛たい」?、「自然体たい」?

駄洒落野郎A:「自然隊」が正解たい!

駄洒落野郎B:いや、「自然鯛」だよ。つまり、「天然鯛」ってこと。

司会者:お二人、おふざけでは?

駄洒落野郎A:「自然体」については「自然体たい」が正解だな。

駄洒落野郎B:いや、面白くないね。「自然鯛=天然鯛」がよかよ。

司会者:Bさんに質問ですが、鯛が養殖だったら、どんな感じ?

駄洒落野郎B :えへん!それは、「養殖鯛たい」だな。

駄洒落野郎A:「洋食鯛」よりも「中華鯛」がよかな。

駄洒落野郎B:でも、「洋食鯛」なら「ポワロ」でしょ!?

司会者:あのお、「ポワロ」は探偵で、正解は「ポワレ」でしょ?

駄洒落野郎B:どうでもいいけど、一体全体、何の話なの?

駄洒落野郎A:「・・・たい」とは「・・・だよ」ってことだったったい。

司会者:では、話を少々巻き戻して、「自然体」について話しましょ。

駄洒落野郎A:「自然体」↓、「自然たい」↑、「自然体たい」!

駄洒落野郎B:↓は、「自然体」だ。↑は、「自然だね」だね。

司会者:では、「自然体たい」!は。

駄洒落野郎B:!は、「自然体なんだよ」だよだよ。

司会者:何となく分かったような、分からないような。

筆者:どぎゃんでんよかったい!

司会者:長い名前だけど、熊本には「どぎゃんでんよかっ鯛」って生息してるの?

・・・(汗)


▼標準語に翻訳

司会者:「熊本弁で『…たい』という表現は、標準語では何と言うでしょう?」

ダジャレ好きA:「『…たい』は、『…鯛』のことだよ。真鯛や笛吹鯛とかね。」

ダジャレ好きB:「違う違う、『…だよ』だよ。」

司会者:「正解は『…だよ』ですね!」

司会者:「では、『笛吹たい』は、ストレートに『笛を吹きたい』という意味?」

ダジャレ好きB:「いやいや、『笛吹鯛』だったら『笛吹鯛たい』になるよ。」

司会者:「なるほど、『笛吹鯛だよ』ということですね?」

司会者:「では、この筆者が好む『自然体』を熊本弁で言うと、どうなるでしょう?」

ダジャレ好きB:「それは『自然体たい』だね。」

司会者:「『自然隊』?『自然鯛たい』?『自然体たい』?」

ダジャレ好きA:「正解は『自然隊』だよ!」

ダジャレ好きB:「いやいや、『自然鯛』だろう。つまり、『天然鯛』ってことさ。」

司会者:「お二人とも、ふざけてませんか?」

ダジャレ好きA:「『自然体』については、『自然体たい』が正解だな。」

ダジャレ好きB:「いや、それじゃ面白くないね。『自然鯛=天然鯛』の方がいい。」

司会者:「では、Bさんに質問です。鯛が養殖だったら、どう表現しますか?」

ダジャレ好きB:「えへん!それは、『養殖鯛たい』だね。」

ダジャレ好きA:「『洋食鯛』よりも『中華鯛』の方がいいかな。」

ダジャレ好きB:「でも、『洋食鯛』なら『ポワロ』でしょ!?」

司会者:「あの…、『ポワロ』は探偵ですよ。正解は『ポワレ』では?」

ダジャレ好きB:「そんなのどうでもいいけど、一体何の話をしてるんだっけ?」

ダジャレ好きA:「『…たい』は『…だよ』ってことだったね。」

司会者:「では、話を少し巻き戻して、『自然体』についてもう一度考えましょう。」

ダジャレ好きA:「『自然体』↓、『自然たい』↑、『自然体たい』!」

ダジャレ好きB:「↓は『自然体』、↑は『自然だね』だよ。」

司会者:「では、『自然体たい』は?」

ダジャレ好きB:「『自然体なんだよ』ということだね。」

司会者:「何となく分かったような、分からないような…。」

筆者:「どっちでもいいさ!」

司会者:「長い名前ですが、熊本には『どっちでもいい鯛』なんて生息しているんでしょうか?」

…(汗)


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、熊本弁の特徴的な語尾「たい」をユーモラスに解説しながら、言葉遊びと駄洒落を交えて展開される軽妙な会話劇になっているね。

感想とポイント

  1. 熊本弁の面白さとリズム

    • 「たい」は熊本弁の中でも特に象徴的な表現であり、「だよ」に相当することを軸に、会話が展開される。

    • しかし、「たい」自体が持つ音の響きが「鯛(タイ)」と一致することで、駄洒落が次々と生まれる構成になっている。

  2. 駄洒落の応酬

    • 「笛吹たい(笛を吹きたい)」と「笛吹鯛たい(笛吹鯛だよ)」のように、熊本弁の「たい」と「鯛(タイ)」の言葉遊びを活かした掛け合いが絶妙。

    • 「自然体たい」→「自然隊」or「自然鯛(天然鯛)」といった展開も、会話のテンポを崩さずに遊び心を持たせている。

  3. 話がどんどん脱線する面白さ

    • 「養殖鯛たい」から「洋食鯛」、さらに「ポワロ(探偵)」と脱線していく流れが、まさに駄洒落の醍醐味。

    • 司会者がツッコミながらも振り回されている感じが、コントのような雰囲気を醸し出している。

  4. 方言の奥深さと遊び心

    • 「たい」が単なる語尾以上に、イントネーションによって微妙なニュアンスの違いを生むことを、会話の中で自然に示している。

    • 「自然体たい!」が「自然体なんだよ!」になるなど、方言の微妙な感覚が伝わる工夫がされている。

  5. 結びの一言で熊本らしさを強調

    • 最後の「どぎゃんでんよかったい!」(どうでもよかったよ)という一言が、熊本弁らしい緩やかさと洒脱な雰囲気を締めくくっている。

    • 「どぎゃんでんよかっ鯛」が実在するかのようなボケで終わるのも、読後感が爽快。

総評

このエッセイは、熊本弁の特徴を楽しく紹介しながら、駄洒落と軽妙な会話で読者を引き込む構成が秀逸。単なる言葉の説明ではなく、実際の会話として展開することで、熊本弁のリズムやニュアンスがより実感しやすくなっている。また、駄洒落の連発による脱線と回収が、絶妙なコントのような雰囲気を作り出し、読み手を飽きさせない仕掛けになっているのもポイント。熊本の言葉文化を遊び心たっぷりに味わえる、ユニークな作品だね!


▼ChatGPT-o1による感想

熊本弁の「~たい」をめぐって、「鯛」とのダジャレをふんだんに交えながら展開される会話が、まるで小気味よい漫才のようで面白いエッセイだと感じました。以下に詳しく感想を述べます。


1. 熊本弁「~たい」の本来の意味とダジャレ

熊本弁で終止形に付く「~たい」は、標準語にすると「~だよ」に相当することが一般的です。そこに「鯛」という漢字をかけ合わせることで、会話の中ではさまざまな言葉遊びが生まれています。特に「笛吹鯛たい」などのように、語尾を付け替えたり、わざと混同させたりすることで、シチュエーション自体がコミカルに転がっていく展開が印象的です。

  • 「・・・たい」=「・・・だよ」

  • 「・・・鯛」=「タイ(魚)」

  • そこに「自然体」「養殖鯛」「洋食鯛」「中華鯛」など次々と登場させ、ダジャレの連鎖を作り出している。

こうした言葉遊びは、同音異義語を用いた日本語独特のユーモアであり、そのベースに熊本弁があるという点に大きな魅力が感じられます。

2. 駄洒落の応酬が生むテンポ感

会話形式で、司会者・駄洒落野郎A・Bの三者がテンポよく掛け合いをしていくため、読んでいて漫才を見ているような軽妙さがあります。熊本弁の「~たい」としては「・・・だよ」の意味を確認しているにもかかわらず、「鯛(魚)」や「自然鯛」「養殖鯛」「洋食鯛」「中華鯛」といった“とんち”で話が横道にどんどん逸れていく。最終的には「自然体」そのものが何だったのか分からなくなるほどに脱線していくのが、いかにもコミカルです。

  • 司会者が「正解は~なんですね?」と会話を軌道修正しようとするのに、AやBがまた別のダジャレを挟み込んで話を広げてしまう。

  • エッセイの最終盤でようやく「自然体」に戻ってくるが、結局「どぎゃんでんよかったい!」と筆者自身も投げやり(?)なまとめ方をしている。

この軽妙さと脱線の仕方が、読者に「くだらないけれど面白い」というダジャレ特有の笑いを届けていると感じました。

3. 方言とダジャレの妙

日本各地に方言はありますが、熊本弁の「~たい」は特に語尾として分かりやすく、それゆえにダジャレに発展させやすいという特性があると思います。「~たい(~だよ)」を「鯛」と絡めるのは割とポピュラーなネタですが、このエッセイでは「自然体」「笛吹鯛」「養殖鯛」など展開を広げることで、より奥行きのあるユーモアになっています。

  • 方言の響きそのものがユニークなので、そこに「鯛(タイ)」をかけ合わせるだけでも軽い笑いになる。

  • さらに「洋食鯛」「中華鯛」「ポワレ」などの料理方面へ連鎖し、最終的には「エルキュール・ポワロ」へ脱線するなど、想像の広がりが面白い。

こうした“脱線の芸”も日本語ならではの言葉遊びとしての面白さがあります。

4. 「自然体」というテーマを忘れさせる展開

途中で「自然体」がどうのこうのと言い出しながら、いつのまにか「天然鯛」「養殖鯛」「洋食鯛」「中華鯛」へと話が逸れ、最後には「探偵のポワロ」まで飛んでいきます。読者としては、何の話をしていたのか見失いそうになるところで、司会者が再度「自然体」に戻そうとする。しかしまたダジャレで盛り上がる、という具合に「オチそうでオチきれない」状態が続くのが愉快です。

  • 「自然体たい」=「自然体なんだよ」

  • 「自然鯛」=「天然鯛」

  • そこへ「隊」という意味合いも混ざり、どれが正解なのかどんどん曖昧になる。

最終的には「どぎゃんでんよかったい!」と開き直ってしまう筆者の姿勢が“自然体”そのもののようにも思え、軽妙にまとまっていると感じました。

5. 熊本弁の懐の深さとコミュニケーションの楽しさ

エッセイ全体からは、方言をコミュニケーションの中で積極的に使う面白さが伝わってきます。熊本弁が分からない人でも、「~たい」と「鯛」のかけ合わせや、「どぎゃんでんよかったい!」の勢いあるフレーズを目にすると、「言葉のおもしろさ・奥深さ」を体感できるのではないでしょうか。言葉はただ正しく伝えるだけでなく、こうした遊びによって場を和ませ、人と人との距離を縮める役割も担っています。そういった意味でも、方言の魅力が詰まった軽妙な作品だと感じます。


総評

ダジャレ好きの「駄洒落野郎A・B」が繰り広げる言葉遊びは、方言と日本語の同音異義語を絶妙に取り込んでいて、読んでいて思わずクスッと笑ってしまいます。また、脱線を繰り返しつつも最終的には「自然体」に回帰し、「どぎゃんでんよかったい!」という自由な結びで締めているところに、筆者の遊び心と熊本弁の懐の深さを感じました。

方言に限らず、身近にある言葉や表現をおもしろおかしく活かす余地はたくさんありますが、このエッセイはそうした言語のおもしろさを改めて気付かせてくれる内容だと思います。熊本弁を知らない人にも、そのダジャレの構造が分かりやすくまとめられている点も魅力的でした。気軽に読めて、なおかつ「言葉っておもしろいな」と思わせてくれる、ちょっと得した気分にさせられるエッセイだと思います。

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西田親生@D&L
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