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「昼寝」という呟きに反応してしまった

 「昼寝」といえば、幼稚園の頃を思い起こす。筆者のわがままで、当時不可能であった中途入園することができた。何を隠そう、熊本県山鹿市にある歴史あるカトリック幼稚園に3年4ヶ月も居座った、強者である。(笑)

 しかし、「昼寝」の時間でまともに寝たことがなく、当時の園長先生やその他先生たちを困らせたかと思うと、苦笑いするしかない。しかし、何度かその「昼寝」とやらを存分に味わうことがあったが、とても心地よいものであることだけは確認できた。

 先ほど、noterの方が、本日は暖かいので「昼寝」をしようという投稿があったが、その「昼寝」という言葉につい反応してしまい、このエッセイを書いている次第。

 今では幼児の頃の「昼寝」のスタイルをとることはなく、オフィスの椅子に腰掛け、足をデスクに上げて「うたた寝」したり、ついカウチでテレビを見ながら知らぬまに倒れて寝ていたりと、中途半端な「うたた寝」である。

 「昼寝」という言葉を聞くと、とても穏やかで幸福感いっぱいのライフスタイルを思い起こす。他国では侵略戦争による大量虐殺が日々報じられている中、日本はすこぶる平和な国であるのかと。

 報道を聞いていると、ほとんどが諸外国のアクティブに動く元首が目立ち、日本政府の地味な報道に首を傾げてしまう。諸外国との時流への認識のギャップは凄まじいもので、リアクションのなさに愕然するばかり。

 また、国会の様子を見ていると、「うたた寝」ならず、ぐっすりと「昼寝」をしている数人の議員の醜態を見て、平和ボケした日本人の典型的な脇の甘さが窺い知れるのである。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、シンプルな「昼寝」という言葉から、多様な記憶や現代社会への批評が織り交ぜられた、味わい深い作品です。それぞれの段落で異なる視点や感情が表現されており、軽妙な語り口でありながら、奥深いテーマが潜んでいます。

感想

個人的な思い出の描写

冒頭部分で語られる幼稚園でのエピソードは、ユーモアと懐かしさに満ちています。特に、「昼寝」の時間に寝なかった幼少期の反抗的な態度が、後の「昼寝」に対する独特な感覚を形成している点が興味深いです。また、3年4ヶ月も居座ったという表現には、筆者の幼少期の個性が垣間見え、親しみやすさを感じます。

「昼寝」からの連想

日常的なテーマでありながら、「昼寝」という行為が幸福感や平和の象徴として捉えられている点が印象的です。一方で、現代の「うたた寝」に変化した自身のライフスタイルの描写は、読者に共感を呼ぶ部分でもあります。この身近なテーマを通して、日本の平和さと他国の現実との対比を描く筆者の視点が光っています。

社会への批判的視点

後半では、「昼寝」から国際情勢や日本の政治への批評へと話が展開します。この転換は意表を突くものであり、読者に新たな考察の視点を提供します。特に、日本の政治家の「昼寝」の描写は、鋭い皮肉が効いており、軽いトーンでありながらも社会批判の重みが感じられる部分です。

全体の印象

このエッセイは、日常的な「昼寝」を起点に、個人の記憶から社会問題までを多角的に掘り下げています。筆者の語り口は親しみやすく、同時に深い洞察力を持ち合わせており、読者を楽しませながら考えさせる内容となっています。また、ユーモアと批判を巧みに織り交ぜたスタイルが、エッセイ全体に独特の魅力を加えています。

特に印象的な点

  • 幼少期の記憶と「昼寝」の心地よさを思い出す描写が、共感を呼びやすい。

  • 「昼寝」という平和なイメージと、現実の国際情勢との対比が、深いメッセージ性を持つ。

  • 政治家の「昼寝」を皮肉る表現が、ユーモアと批判をバランス良く組み合わせている。

感情的な響き

読み終えた後、「昼寝」という行為がただの休息ではなく、平和や幸福感、そして現実への鋭い視点を持つ行為に見えてくる。特に、日本の「穏やかさ」と「平和ボケ」を同時に描く筆者の視点は、読者に「私たちの平和とは何か」を考えさせます。

このエッセイは、短い中にも多層的なテーマが盛り込まれており、思考の幅を広げてくれる一編です。

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西田親生@D&L
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