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ドライブアシストが邪魔な間は、若い証拠。

 最近の車は、ドライブアシスト、クルーズコントロールなど、安全機能てんこ盛り状態になっているようだ。

 夜のドライブでは、マトリックスライトが搭載されていれば、前照灯の左右やアップダウンなど気にすることなく、ステアリング操作に専念できる。

 時折、深夜のパトロールと屁理屈言って愛車に乗り込み、色々と設定を変えて楽しんでいるのだが、子供のような自分に呆れ返っている。

 ところで、昨日、ドライブアシスト機能やクルーズコントロール機能、更に、速度制限などのボタンを弄りまくり実験したが、ただただ邪魔に感じたのである。

 自分がイメージするコース取ができないばかりか、減速やブレーキングが少々荒さを感じる。長年自分の右足先感覚の方が、遥かに静かにブレなく停止できる。

 マトリックスライトについては感動ものである。流石に車は進化している。360度カメラも、駐車場から公道へ出る時などは必需品であると、何度も頷いた。

 ステアリングとアクセルペダル、そしてブレーキペダルの感覚は、ドライブアシストに任せれば、逆に燃費も悪く、タイヤやブレーキパッドの摩耗が激しいようだ。

 例えば、筆者が助手席に乗っているとすれば、初心者マークの人が初めて公道で運転しているように思えてならない。あちこちに、0.何秒かの誤差が生じる。

 熊本市内及び周辺は道路インフラが悪いので、スムーズなツーリングを楽しむことなどできない。更に、信号機がやけに多く、ゴー&ストップの連続にて、車を運転するのが嫌になる。

 遠出の場合、特に、これまで訪れたことのない場所へ車を走らせるには、ナビとドライブアシストは大いに役に立つ可能性はあるが、日常の取材活動では無用の長物になっている。

 されど、ドライブアシストやクルーズコントロールなどの機能が楽しく、頼もしい存在に感じる段階で、後期高齢者としての自覚を持つことになろうかと。まだまだ先の話だが、男のロマンとして、棺桶に車を持ち込みたいくらいである。

 いつまで車を運転できるのか分からないが、免許返上する頃には、完全自動運転自家用車が自宅駐車場にあるかも知れないと、手ぐすね引いて待っているところである。(苦笑)

※写真上はイメージ


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、現代の自動車技術と運転者の感覚との間にあるギャップを、ユーモアを交えながら描いているのが印象的だ。特に、筆者がドライブアシストやオートクルーズ機能を「ただただ邪魔に感じた」と述べている点は、長年の運転経験が培った直感的なコントロールと、新しい技術の介入との間にある違和感を的確に表現している。

1. ドライブアシストと運転の快感

筆者が「右足先感覚の方が、遥かに静かにブレなく停止できる」と述べているように、長年の運転経験を持つ人にとっては、車の挙動を自らの感覚でコントロールすることが醍醐味であり、それが運転の楽しさでもある。しかし、最近の車は安全性を優先し、運転者の技術よりもシステムの判断を優先する設計になっている。これは、運転好きにとっては「邪魔」と感じる部分もあるだろう。

特に、「0.何秒かの誤差がある」と指摘している点が興味深い。これは、AIによる制御が人間の反応速度や微妙なフィーリングに完全には追いついていないことを示唆している。筆者のように感覚的に運転を楽しむタイプにとっては、こうした技術が逆にストレスになることもあるのだろう。

2. 熊本の道路環境との相性

熊本市内や周辺の道路インフラについて、「スムーズなツーリングを楽しむことなどできない」との指摘がある。実際、日本の地方都市は道幅が狭く、信号が多いため、せっかくの先進技術もフルに活かされにくい。都市部の道路状況が良い場所であれば、アシスト機能の恩恵を受けられるかもしれないが、筆者のように取材活動で市内を細かく移動する場合は、むしろ煩わしさの方が勝るのだろう。

3. 未来の車への期待と「男のロマン」

「棺桶に車を持ち込みたいくらいだ」という表現には、筆者の運転への愛着と、クルマ文化への深いこだわりが感じられる。まさに「男のロマン」だ。車が単なる移動手段ではなく、人生の一部であり、楽しみの対象であることが伝わってくる。未来の完全自動運転車について「手ぐすね引いて待っている」と述べているが、これは現在のアシスト機能には納得していないものの、本当に自分が運転しなくてもよいレベルの技術が確立されることには期待している、という微妙なニュアンスが含まれている。

4. 総評

全体的に、筆者の運転に対する情熱と、最新技術に対する冷静な評価がバランスよく表現されている。運転歴の長い人ほど、自分の感覚に自信を持ち、ドライブアシストを「邪魔」に感じるのはよくある話だが、その一方で技術の進化も認めている。この視点が、単なる批判ではなく、クルマ文化と運転の楽しさを考えさせるエッセイになっている。

特に「ドライブアシストが邪魔な間は、若い証拠。」というタイトルが秀逸だ。自動運転技術が進化し、アシストが「邪魔」ではなく「ありがたい」と感じるようになったとき、人は運転の楽しさよりも快適性や安全性を優先するようになり、それが「老い」の兆候になるのかもしれない。この逆説的な視点が、読者に共感と考察の余地を与えている。

全体として、運転好きの人なら誰もが一度は感じたことがある「技術と感覚のギャップ」を見事に捉えたエッセイであり、ユーモアとノスタルジーが絶妙に織り交ぜられた良い作品だと感じた。

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西田親生@D&L
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