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幼心と大人心の落差に愕然とする・・・

 父が転勤族であったので、2年から3年に1回は転勤(転校)しなければならなかった。

 小学校一年生の頃に、一度は転校先の小学校へ通い、三学期から郷里の小学校へ独りで戻ったことがある。しかし、祖父母との関係が好ましくなく、数年間は苦労することに。

 小学校の低学年でもあり、転校先に馴染まぬのではなく、郷里の幼友達との別れが辛くて戻ったというのが、一番の理由であった。

 現実は厳しいもので、両親が転勤先、筆者が実家となれば、祖父母より気軽に小遣いをもらえる訳ではなく、躾も厳しかったこともあり、日々、どんよりと曇ったような幼少期が続いた。

 中学校へ入学する時の転勤では、幼少期の苦労を二度としたくはなかったので、その時ばかりは両親の金魚の糞として父の転勤先の中学校へ入学することにした。

 先ずは、転勤先の同級生たちとの言葉の違いに困惑した。イントネーションも言葉(方言)もかなり違うところだったので、現地の言葉を何度も練習しては、筆者の地元の言葉が出ないように心がけた。

 その中学校は、某県の県庁所在地にあり、県内では一番古く、教育熱心なところだった。言葉は緩いし、気が長い。言葉以外には何の支障もなく、多くの友達と遊んだ記憶がある。

 ただ、生まれ育った郷里の幼友達とは比較になぬほど、距離感があったことは否めない。その中学校の同級生は、ほとんど同じ小学校の仲間がいるので、筆者との距離が遠いのは理解できるが、その壁は思いの外分厚い。

 そうしている内に、小学校2校、中学校2校、高校2校と、1校で最初から最後までまともに通うこともなく、各学校の卒業式も何となく不完全燃焼の記憶しか残っていない。

 社会人になる時に考えたのが、転校で嫌な思いばかりをしてきたので、可能な限り県外転勤が少ない企業を選ぶことにした。よって、地元の新聞社に入社することになる。

 結局、幼い頃に思いを寄せていた郷里の幼友達とは小学校6年までで別れてしまい、幼い頃の思い出が鮮明な記憶として宿ってはいるものの、それ以来ちょくちょく会うこともなく、静かに時が過ぎていく。

 これは、筆者の考えが甘いのか、稚拙なのか判らないが、幼少期に一緒に過ごした幼友達のイメージがそのまま大人になっていると思い込んでしまっていたのである。

 現実はと言えば、真逆なことが多く、幼心と大人心の落差に愕然とすることが多く、段々と幼友達とはなんぞや、兄弟のように過ごしてきた親友とはなんぞやと、自問自答することになる。

 筆者自身は幼い頃のイメージをそのまま保持しており、その距離感で接するようにしていたが、それが間違いであったのが、ようやく最近になって気づかされたのである。

 周囲の幼友達は立派な人間ばかりで悪人は一人もいないけれども、距離感は他人の距離となっており、腹を割って話そうとも、聞く耳を持たない人の方が圧倒的に多い。

 なるほど、「如水」という言葉があるように、人懐こい筆者の考え方に問題があり、他人は他人の距離感にて接していることを把握すべきであると。

 特に、大人になれば互いの生活環境も異なり、純朴なる幼心がそのまま大人心になる人などいるはずがない。

 あれやこれやと自問自答している内に、遅ればせながら、ようやく結論に至ったのである。

 幼心は遠き思い出であり、その心地良さを大人になって求めたとしても、無意味、無価値であることが理解できたような気がしてならない。

 加えて、転勤族であったために、大人になるまで郷里に住んでいる訳でもなく、地元の幼友達からすれば、今では余所者として見られているに違いない。それは仕方のないことであるが、何となく侘しい気持ちにならざるを得ない。

 郷里への愛は人並み以上に強いと自負しているが、その心が伝えられない日々を送りつつも、現在は、郷里とはなんぞやと自問自答したくもなってしまうのである。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者の転校と幼少期の経験に焦点を当てて、成長と現実の落差について探求しています。以下に評価のポイントをいくつか挙げてみましょう。

  1. 感情と経験の共有: エッセイは筆者の感情や経験について率直に語っており、読者に共感を呼び起こす可能性があります。転校や幼少期の経験について語ることは、多くの人に共通するテーマであり、共感を引き出すのに役立ちます。

  2. シンプルな文体: エッセイはシンプルで直感的な文体を採用しており、筆者の感情と考えをわかりやすく伝えています。読み手にとって理解しやすい構造と言葉遣いです。

  3. 自己成長の考察: 筆者は成長と現実との間の落差について深く考察しており、大人になった今でも幼少期の友人たちとの距離感について問題提起しています。この自己成長の考察は興味深い要素です。

  4. 人間関係と地元への愛: エッセイは人間関係と地元への愛についても触れており、これらの要素は読者に感情的な共感を呼び起こすポイントとなっています。筆者が地元についての思いを探求する姿勢が印象的です。

総じて、このエッセイは読者に感情的なつながりを作り出す機会を提供し、筆者の自己成長と地元への愛についての考察を通じて、感銘を与えるかもしれません。文章がシンプルで読みやすいため、多くの読者にアプローチできると思います。 

熊本市動植物園にて

 

 

 

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西田親生@D&L
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