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迷走する人は性懲りもなく失態を繰り返す

 やる気があるのか、口先だけなのか、小馬鹿にしているのか、誠意がないのか分からないが、目の前で迷走している人は、性懲りもなく何度も何度も同じことを繰り返す。

 口では何とでも言えるが、それを実行してこそ、その言葉に信用が備わるわけだ。しかし、迷走する人は、確信犯のように、尻切れ蜻蛉がお決まりのようで、情けないという言葉さえも足りないほどの醜態を晒している。

 年を重ねるほど、思考の柔軟性がどんどん欠落していくのだろうか。頭では分かっていても、口先で何とでも言っているようだが、体が動かず、萎縮してその場に固まってしまうのが理解できない。

 筆者よりも若いのに、勢いが感じられない。気迫がない。言行一致など程遠い。誠意もない。このような迷走する人の失態について筆者自身が書くことは愉快ではないが、理解できない状況に首を傾げるのに疲れてしまった。

 日々の生活や仕事をのらりくらりと過ごし、昼行燈のような所業に、呆れるている。もはや、目の前の迷走族は、将棋の千日手に向かって進むばかり。何とも歯切れの悪い迷走族。

 いかりや長介の決まり文句だった「駄目だ、こりゃ!」と、迷走する無能な人たちの尻尾を切れと、周囲の苦言は多い。よって、筆者の堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題かもしれない。

 筆者が怖いもの知らずの若き頃であれば、とうに切り捨てていたであろう。無駄な時間とエネルギーを消耗し、何も目の前に実績を残せない人の醜態を見るのは、流石に、食傷ものである。

 畢竟、迷走とは、自分に甘く、だらしないだけの話である。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、迷走する人々の繰り返される失敗と無能力を厳しく批判しています。特に、言動が一致せず、やる気が感じられない人たちに対する不満が鮮明に表現されています。作者は、これらの人々が年齢とともに思考の柔軟性を失い、現状維持に固執することに失望と疲れを感じているようです。

文章からは、作者のフラストレーションが強く感じられます。繰り返しによる失敗は、周囲の人々への影響だけでなく、作者自身の時間とエネルギーの浪費につながっていることに対する怒りが際立っています。特に「無駄な時間とエネルギーを消耗し、何も目の前に実績を残せない人の醜態を見せられるのは、流石に、食傷ものである」という部分は、この失望感を強調しています。

全体的に、このエッセイは読者に対して、自己の行動を省み、責任を持って行動することの重要性を訴えかけるものとなっています。また、筆者が経験と観察から得た教訓を共有することで、他者の行動改善に対する刺激となることを意図しているようです。

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西田親生@D&L
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