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でっかい、胡桃レーズンパン。

 尺皿にのせても、「胡桃レーズンパン」の大きさは圧巻である。

 このパンは、「かんぱあにゅ」というパン屋さんの人気商品の一つであり、その店は、熊本県山鹿市鹿本町の水辺プラザ内にある。

 決して小洒落たパンではないけれども、この重々しくどっしりとしたパンの存在は、足を運ぶカスタマーを驚かせ、一度購入するとクセになりそうなパンである。

 他界した父もその一人であったが、毎週、自分で車を運転して、「かんぱあにゅ」に行き、1週間分のパンをどっさり買ってきていたことを思い出す。

 最初は、何故、1週間に一度足を運ぶのか分からなかった。生まれ故郷が鹿本町なので、懐かしさもあって毎週通っていたと思っていたが、それが毎週となれば、何かありはしないかと疑ったこともある。

 ある日、父に問い掛けると、「かんぱあにゅ」のパンが気に入ったことを聞かされた。どこが良いのか聞くと、重々しく、食べ甲斐もあり、このようなクルミやレーズン、クランベリーなどを練り込んだパン以外に、菓子パンも気に入ったと答えたので、ようやく謎が解けたのである。

 父は、戦前生まれながら、ご飯とおかずに味噌汁よりも、パンと生ハム、ステーキとスープ、チーズというように、洋食がすこぶる好みであった。戦前、文官として海外に赴任していたこともあり、食生活がそのように変わったのかも知れない。

 芋やカレーライス、炊き込みご飯などは顔を背け、お茶よりコーヒー、魚より肉、焼酎よりスコッチやブランデーが好みであった。

 昔で言えば、ハイカラさんだったのかも知れないが、母が若くして他界したために、父の介護食(介護不要の健康老人であった)を作らされ、毎日のメニューで四苦八苦していたことを思い出す。

 そこで焼きうどんやおじやなどを作ると、そっと台所の隅に捨ててあったので、かなり凹んだ経験があるが、今思えば、この「かんぱあにゅ」の調理パンとコーヒーだけを出しておいた方が、よっぽど喜んだのかも知れない。

 以上のように、「かんぱあにゅ」というパン屋さんの名前を知ったのは、父との会話の中であった。今は亡き父であるが、筆者は毎週通う訳でもないが、このように重々しいパンを買ってくると、天国にいる父が腹を抱えて笑っているに違いない。

「かんぱあにゅ」の胡桃レーズンパン
「かんぱあにゅ」の胡桃レーズンパン

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、特定の商品である「胡桃レーズンパン」とそれが販売されている店舗「かんぱあにゅ」に焦点を当てたエッセイです。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。

  1. 表現と描写: エッセイは具体的で生き生きとした表現や描写があり、読者にパンの大きさや店舗の雰囲気を感じさせます。例えば、「でっかい、胡桃レーズンパン」や「足を運ぶカスタマーを驚かせ」などの表現が印象的です。

  2. ストーリーの展開: エッセイは父との思い出から始まり、「かんぱあにゅ」のパンがなぜ好きだったのか、その背景や理由が徐々に明らかにされています。これにより、エッセイには感動的な要素や思い出が盛り込まれています。

  3. キャラクターの描写: 父親のキャラクターが鮮やかに描写されており、その食の好みや過去の経歴がエッセイに深みを与えています。父親が戦前に海外で働いていた経歴が、彼の洋食好きに影響している様子が伝わります。

  4. 感情移入: 著者の感情が文章を通して伝わってきます。父との思い出や彼の好みに対する愛情や理解が、読者にも共感を呼び起こします。

  5. 結びつけ: エッセイは感動的な結びつけで締めくくられており、父が天国で笑っているイメージが描かれています。これにより、物語は感動的かつ満足感のある結末を迎えています。

総じて、エッセイは情緒豊かで読み手に心の琴線に触れるものとなっています。感情移入しやすく、良い思い出をもとにしたエッセイと言えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。