自分より心が広く有能な人と接しなければ、自分の小ささや愚かさに気づくことはない。
「同じ穴の狢」、「どんぐりの背比べ」、「五十歩百歩」と言うような人たちとの接点を多く持つ人は、自分の小ささや愚かさに気づかなくなる。また、群集心理も加わり、善悪も真偽も見分けもつかなくなってしまう。
要は、自分より心が広く有能な人と接することが、大切な人生において自己研鑽の入口でもあり、その接点において、自分の器の小ささや能力の欠如しているところが良く見えてくるということになる。
ただ、「同じ穴の狢」、「どんぐりの背比べ」、「五十歩百歩」でも、冷静に自分の立ち位置を考え、反面教師として捉えることができれば、逆に、自分自身の脆弱なるところや間違いを払拭する突破口が見えてくる。
しかし、突破口が見えたとしても、「同じ穴の狢」、「どんぐりの背比べ」、「五十歩百歩」を延々と続けてしまえば、結局は振り出しに戻ることになり、意味もなく価値もない環境下で人生を送ることになる。
筆者も若き頃を思い起こせば、自分よりも遥かにアグレッシブに動き、頭の回転の良い、面倒見の良い先輩との接点が、すごく為になった。
<幼少期の先輩ガキ大将>
例えば、幼い頃に二十人ほどの頂点に立つガキ大将がいた。メンバーは皆、筆者よりも二歳上だが、先輩ガキ大将は全員の性格や能力を把握しており、コマンダーとして指揮していたのは、見ていてとても素晴らしかった。
勿論、徒党を組むような悪ガキ集団ではない。スポーツにしろ、魚釣りにしろ、サイクリングにしろ、他の小学生と比較すれば、有言実行型で正義感溢れる人間が集まっていたように思える。
よって、幼少期に学んだことは、正義感と決断力と実行力であった。弱い者いじめをする人間を叩き、合議制で決めたことは必ず実行に移すと言うものだった。謂わば、腹黒い番長とは対峙の関係にある、荒馬に乗った武士(モノノフ)のような存在である。
<数学の天才との出逢い>
中学生の頃に出会った先輩は、父と同職の方の次男で、進学校(高校)において数学は常にトップの座を譲らぬほど頭が切れていた。筆者が中学校1年の3学期に出会ったが、ちょっとしたヒントを貰ったお陰で、数学がクイズのように楽しくなり、それ以来、百点以外取ったことはない。
それから、父の友人知人やその子供たちとの接点が益々多くなり、有能な人たちとの出会いが続くことになる。今思えば、学ぶ環境は恵まれていたことになる。
<英断を下した裁判官>
最近の出会いとなれば、今年の10月25日にお会いした裁判官であろうか。久しぶりに、思考回路と人格の奥深さのオーラを感じた方であった。筆者は被害者ながら被告席についたが、初対面の瞬間から、その裁判官の心の広さを感じ取ったのである。
結果的には、原告側は訴状の目的を果たせず退散。これは、あくまでも筆者の個人的な分析であるが、裁判前日ギリギリまで、原告の訴状に対する筆者の反論(60ページほど)について、全面的に認めていたのだろうと確信するのである。
事件を大局的に検証し、原告及び被告の言い分を精査して、当日、判決を下さぬ判断をした裁判官。その洞察力と判断力の鋭さに、被告人ながら心の中で頷き、唸ったのである。よって、笑顔で帰社することができた。
世の中は、上には上が沢山存在している。それは金儲けではなく、人として、人格者として、雲の上のような人の存在を意味する。
<大大名の風貌だった元最高裁判事>
話は前後するが、正義という面でとても影響を受けた方がいた。それは、当時、最高検察庁から最高裁判事になられた方であり、その方が新任検事の頃に出会ったのである。当時、中学1年生だった筆者に、フョードル・ドストエフスキーの「罪と罰」の本をプレゼントして貰ったのだった。
その方との再会は、母が他界した時になる。わざわざ東京から熊本の実家においでになり、母を弔っていただいた。その瞬間のことが、今でも昨日のことのようで、忘れることができない。
それは、正座のまま目を瞑り、数分間無言が続いたが、横にいた筆者が言葉には尽くし難いほどのオーラを感じたのである。例えば、大大名が上段の間に座しているかの如くの空気感である。
静かに弔いの言葉を掛けていただいた。現在は、最高裁判事を退官され弁護士として、大企業不正問題解決に尽力されているようだが、大変失礼かもしれないが、自治体の知事や市町村長などのオーラとは比較にならず、無限の宇宙観を持っているような方であった。
<結論>
大変冗長となってしまった感があるが・・・
結論は標題の如し。「自分より心が広く有能な人と接しなければ、自分の小ささや愚かさに気づくことはない。」ということである。
このエッセイは、他者との接触が自分の成長や洞察にどれだけ重要かに焦点を当てています。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。
テーマの明確性と結論の力強さ: エッセイの冒頭で提示されたテーマははっきりしており、結論も明確です。「自分より心が広く有能な人と接することが必要である」という主張がしっかりと結ばれています。
例の豊富さと具体性: 著者は自身の経験や出会いを具体的な例として挙げ、それによってテーマを裏付けています。これにより、読者は抽象的な概念を実際の状況や人物と結びつけることができます。
論理構造と流れ: エッセイは明確な論理構造を持ち、段落ごとに適切な流れがあります。冒頭から結論に至るまでの導入、発展、結論の流れがスムーズです。
言葉の選び方と表現力: 言葉の選び方は的確であり、表現力に富んでいます。例えば、「心の広さを感じ取った」や「洞察力と判断力の鋭利さ」など、具体的な状況や感情を効果的に伝えています。
冗長性への注意: 著者自身が指摘している通り、エッセイの一部が冗長に感じられる箇所があります。冗長性に気を付けつつ、情報やエピソードを選択することで、より効果的な文章になるでしょう。
総合的に見て、テーマに対する考察が深く、自らの経験を通して具現化された事例がエッセイを豊かにしています。冗長性に気を付けながらも、その他の要素は良好であり、他者との接触が個人の成長や洞察に与える影響を力強く伝えています。