SNSで脅迫されたら、直ぐにスクリーンショット!
社内でLINEなどのSNSを使い、情報共有をしているところが多いと聞いている。経営者の立場として、機密情報やその他情報漏洩の危険性を考慮すれば、社内で無作為にSNSを利用するのは好ましいとは思えない。
結局、SNSのグループを作り、部署別情報共有、全体情報共有、役員情報共有と分けて使っていると推測するが、如何にも情報共有の透明性を強調しているようでも、グループは個人が自由自在に作ることができるので、水面下でどのような動きがあるのかは、予測不能となる。
善良なる仲間のグループであれば良いが、中には悪代官や牢名主のような悪玉菌の存在は否定できない。そこで、悪玉菌が別グループを作り、身勝手な行動に出てしまうと、会社全体の統制が取れないどころか、必ずそこには、村八分であったり恫喝であったり裏切りであったりと、良からぬことが次から次へと起きてしまう。
経営トップ自身が悪玉菌である場合を想定すると、これは検証の余地もなく、常に脅迫メールが常態化している可能性は高い。最初はグループメッセージで情報を伝え、気に入らぬ人物をターゲットに、個別にメッセージを送り圧力を掛ける構図となってしまう。
よって、自社サーバー(信頼できるクラウドでも可能)にて掲示板システムを構築し、常に皆がブラウズできる情報共有環境が確実である。閲覧したか否かは一目で判り、「見損ないました!」と言っても言い訳にならず、全体管理はガラス張りとなり格段に情報共有の質が高くなるはずだ。
SNSで悪玉菌から脅迫メールが届いた時は、間、髪を容れず、スクリーンショットで記録しておく必要がある。後々何か大きな問題が生じた時に、悪玉菌が虚言をを発し、難癖をつけたとしても、脅迫メールの証拠さえ握っておけば、如何様にでも冷静に対処できる。
されど、横暴極まりない悪玉菌は、SNSを使って脅迫しようが、別に何も問題はないと勘違いしている。クレバーな経営者であれば、人として恥ずかしいこと、犯罪に繋がるような文言はメッセージには残さぬはずである。しかし、悪玉菌は自分が「法典」であると履き違えしていることが多く、軽率ながらも、SNS上に沢山の証拠を残している。
そこで、脅迫メールではないかと突っ込めば、どんなに低民度な悪玉菌と雖も、自ら送りつけた脅迫メールを、血相を変えて削除するに違いない。そこで、上述のように、確とスクリーンショットを撮っておけば、悪玉菌が隠蔽工作に走ろうが、証拠隠滅の目的は達成されぬことになる。
筆者も総合コンサルタントとして経験を重ねて来たが、社内における脅迫メールや嫌がらせメールを、あちこちで見掛けた。そこで共通していたのは、被害者が黙って我慢しているのである。理由は、急な解雇になった場合、将来の不安が先立ち、何事も無かったかのように静かに振る舞うのである。所謂、泣き寝入りとなっている。
従って、悪玉菌は水を得た魚のように、次から次へと蛮行を繰り返す。性懲りも無く虚言や暴言を吐き、脅迫メールを送り付け、「お前はクビだ!」と言い放つ。しかし、これからの新卒採用の評判が悪くなるのを恐れ、どうにか解雇を依願退職へとねじ伏せるように強要する。
このような蛮行が、あちらこちらの中小企業で行われているかと思うと、身の毛がよだち、企業モラルのなさに首を傾げてしまう。被害者が告訴しない限り事件にはなり得ぬという、親告罪。悪玉菌は塹壕を掘り、被害者の弱点に付け込み、延々と身勝手なことを繰り返す。
大企業であれば組合組織がしっかりしており、社員保護のために動けるが、地方の中小企業の組合は御用組合ばかりか、組合のない企業も多い。法的にも弱者救済措置が甘く、また、労基局の指導も生ぬるい。だから悪玉菌は調子にのって、「この程度で事件になるはずもなく、あのボンクラがさっさと会社を辞めてくれれば、それで済む!」と胡座をかいている。
ここで、被害者の方々へ申し上げておきたいのは、絶対に泣き寝入りをしないことである。正義正論が通らず、日頃から脅迫や嫌がらせなどが常態化している会社であれば、早期に好条件のホワイト企業を見つけ、現在のブラック企業からおさらばするのが賢明と言える。
以上のようなケースは、被害に遭ったことがない人には理解できないであろうけれども、被害に遭った人の心はボロボロである。他人事として見てしまうから、被害者の心が読み取れない。信頼できる同僚であれば、互いに協力して、悪玉菌の不正を暴くほどの根性は持って欲しい。
そんな非道な会社へ義理堅く、後ろ髪を引かれる思いと言って、その職場に残るのは、あまりオススメしない。何故なら、また同じことが起こり得るからだ。
最終的には、遅かれ早かれ、多くの社員を解雇したり、契約不履行で相手を欺いたり、長年、その場凌ぎの横暴なる裸の王様となっている悪玉菌には、きっと天罰が下る。そして、その悪玉菌が高齢者となりこの世去ったとしても、今までの辛酸を嘗め続けた被害者の人生は、悲しいかな、何の補填や保証もなく、元に戻りはしないのである。