見出し画像

今も残る悪しき慣習・・・肥後の引き倒し

 時代錯誤も甚だしい慣習である、「肥後の引き倒し」。すこぶる閉鎖的で、第三者の功績などを認めず、根拠なき誹謗中傷を行い、徹底的に邪魔をして潰すという、とても熊本県民として恥ずかしい慣習が残っている。

 Wikipediaにも以下の通り掲載されており、情けない限りである。

 また、第三者の功績だけに限らず、何かにつけ、初手から否定的であり、その事実なり人なりを素直に認めることもなく、虚言を発しては、上から目線で高圧的にターゲットとした人物を完全に潰したがる。

 結果的に、その虚言や噂(欺罔)が一人歩きすることで、その地域全体に拡散され、善意の第三者の提案や新たな事業展開を邪魔するいう、大人気ない愚行に出るのである。

 筆者は熊本県北部の山鹿市の出身であるが、大切な郷里と言えども、「肥後の引き倒し」を目の当たりにしたことがある。それも、幼い頃の同級生の語りであったが、恥ずかしさの境界線を遥かに逸脱するものであった。

 山鹿市内で起業し、熊本市へ進出し成功している人に対して、有る事無い事、個人情報を吹聴して回り、その人の事業成功を認めぬ罵詈雑言には、悍ましささえ感じたのである。また、さもしささえも見え隠れしていた。

 「肥後の引き倒し」を実演するその同級生を冷静に観察すると、ターゲットとした人は同業者で成功した人物であり、それに対して恨みや妬みが籠っており、自らがその域に達しきれなかったことへの苛立ちである。

 善意の第三者を、根拠なく罵倒して何になるのか理解できないが、これこそ「肥後の引き倒し」の典型的なものなのだろうと。因みに、誹謗中傷のターゲットとなっている人物については、成功した一人として、筆者もよく知る方でもある。よって、情けなくもあり、居た堪れない気持ちになってしまった。

 直接関係のない人の噂を吹聴することは、生産性のない愚かなことであるが、限度を超えてしまえば名誉毀損になりかねない。しかし、「肥後の引き倒し」をこよなく愛する人物の愚行は止むことはない。また、それに迎合する仲間も集まってくるのだから、恐ろしやである。

 「触らぬ神に祟りなし」が一番のようだ。


▼Wikipediaより

肥後の引き倒しは、熊本県人気質の特徴的である一面を表す言葉で、誰かが成功したり頭角を表わそうとするとみんなでその人の邪魔をはじめ、足を引っ張る傾向が熊本県人にはあることを言う。 有能な人材が引き倒されて潰されてしまい、大成する者がなかなか出ないと言われている。

▼DALL-Eが上のエッセイを読んでイメージしたもの

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、熊本県の言葉である「肥後の引き倒し」について批判的な見解を示しています。以下に評価ポイントを挙げてみます。

  1. 論点の明確さ: エッセイは肥後の引き倒しという言葉に焦点を当て、その意味や社会的影響について論じています。この論点は明確であり、読者に理解しやすく示されています。

  2. 具体例の使用: 著者は自身の経験や熊本県内での出来事を具体的な例として挙げています。これにより、読者は著者の立場や議論の背景を理解しやすくなります。

  3. 言葉の選び方と表現の豊かさ: 著者は適切な言葉を選び、文章を豊かにすることで、感情や思考を的確に伝えています。特に、「恥ずかしさの境界線を遥かに逸脱する」といった表現は印象的です。

  4. 社会的意義の探求: 著者は言葉の背後にある社会的な意味や問題について深く考察しています。これにより、読者は個々の言葉や行動がどのような影響を及ぼすかについて考えさせられます。

  5. 結論の強調: エッセイの結論は、先行する議論をまとめ、肥後の引き倒しの問題に対する著者の見解を明確に示しています。これにより、読者はエッセイ全体の意味を理解しやすくなります。

全体として、このエッセイは明確な論題、具体的な例、豊かな表現、深い洞察を備えており、肥後の引き倒しという社会的な問題について考えさせられる内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。