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世界中の元首たちの足元がゆらゆらと

 世界中の元首たちの足元が揺らいでいる。偶然のバイオリズムの同調なのか知る由もないが、日頃から、世界平和のために尽力せず、私腹を肥やすことに傾注しているから、綻びが出るのだろうと考える。

 経済大国や軍事大国と称される元首たちの動静は世界に大きな影響を及ぼしているが、一歩、二歩、バックステップして見ると、皆、普通の人間である。ただ、俗欲が極めて旺盛な人たちのように思えてならない。

 結局は、権力と金の亡者のような人間であり、利他の精神に欠け、利己の精神で脳内が埋め尽くされた、仰々しい舞台装置の上で演技をする大根役者のように見えて仕方がない。

 あらゆる手段を講じてでも、我が身を守るために虚言を発し続けている。その辺に生息している、その存在自体が不協和音を引き起こす偽善者と全く変わりはない。

 懐の広い、人格者がどこにいるのかと目を疑いたくなるほどに、俗欲に塗れた人物ばかりだと呆れてしまう。そのような低民度で殺戮を繰り返す危険な人物を、よくも国民が選ぶのだから、理解に苦しむ。

 似非民主国家の代表格である米国、侵略国家の代表格であるロシア、経済侵略国家の中国など、大国と称するのはどうでもいいが、その元首たちはビッグマウスで虚言ばかりをこよなく愛しているに過ぎない。

 そこには「差別」という、すこぶる単純で原始的な、本能的な人間の憎悪の影が見え隠れしている。狂犬病ウィルスでも体内に注入されたかように、精神的な偏りや歪みだけが伝わってくる。

 民衆が崇拝ほどの、人格者の存在は皆無である。共通しているのは、資金力により、高価な衣服を着て、自らを元首として演出するために、警護や移動手段、居住施設(公邸)に多額の血税を投入し、時代錯誤のコンテンポラリーな皇帝を演じているのである。稚拙極まりない。

 この小さな地球上にて戦争が消え去ったことは一度もない。どこかで小競り合いがあり、他国の侵略や殺戮を試みたり、自らに不都合な罪なき人たちを、世界中で暗殺し葬り去っている。確実に、犯罪行為である。

 我々庶民がそのような蛮行に至れば、国内法にて厳しく処罰される。当たり前のことだ。それが、安寧を保つための、最終手段でもある。しかし、上記の元首たちは、「不逮捕特権」、「免責特権」などを有し、悪質な犯罪者であったとしても厚かましくも元首になっている。

 非軍事的な分野であっても、国連や世界オリンピック委員会など、多種多様な国際機関が存在しているが、蓋を開ければ、私利私欲に狂った人物が組織を統制し、WHOの虚言であったり、オリンピック委員会役員の贅沢慰安旅行であったりと、そこにも「差別」というものが根底にある訳だ。

 高度な頭脳を持つ人間として胡座をかく人間が多いが、世界の安寧秩序を最優先して政策を実行する元首は皆無である。国内が騒々しくなれば国外に仮想敵国を作り出し、国外が騒々しいと国内一致団結と都合の良いプロパガンダで国民を騙しているに過ぎない。

 この世から権利と金に価値がなくならない限り、上記のような蛮行は延々と繰り返され、最終的な犠牲者は各国の国民で終止符を打たれるのである。

 ミツバチでさえも、命を維持するため(お国のため、種族のため)に外敵と対峙することもなく、懸命に働いている。

 ミツバチの行動を見ていると、理想的な世界観を妄想したり、その健気な姿に涙を落としてしまいそうになってしまう。それが、共存共栄のお手本ではないかと、花畑の中を飛び回るミツバチやクマバチを見ては、笑顔がほころんでしまう。

 しかし、短命ながら幸せな世界を創造するミツバチを捕食するスズメバチやその他外敵がたくさん存在している。それが、人間社会では、軍事大国と経済大国の中でも、他国を侵略している国であり、その元首である訳だ。

 侵略国家やそれをリモートするような元首やその取り巻きを簡単に駆逐する方法はないのだろうか。八月十五日は我が国の終戦記念日であったが、考え込んでしまった。

 以上、学習能力に欠ける元首たちの蛮行の正当化のために、「歴史は繰り返す」だけは、御免被りたいものである。

DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたミツバチと外敵

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、現代の世界の元首たちの姿勢や行動を鋭く批判した内容となっています。以下は、エッセイに対する詳しい感想です。

1. 現代の元首への厳しい批判

エッセイ全体を通して、著者は現代の元首たちに対して強い批判を述べています。特に、彼らが私利私欲に走り、世界平和を犠牲にしているとする見解が中心となっています。経済や軍事力の大国とされる国々のリーダーが、実際には「権力と金の亡者」であり、利己的な精神に満ちているとの指摘は、現代の政治リーダーシップに対する広範な不満を反映しています。

2. 倫理観の欠如と偽善の指摘

著者は、元首たちが偽善的であり、虚言を重ねて自己保身に走っていると批判します。この点に関して、著者が「人格者がどこにいるのか」と嘆く様子から、政治的リーダーシップの倫理的な側面が完全に欠如していると感じていることが伝わります。現代の多くのリーダーが、国民のためではなく、自らの利益のために行動しているとする視点は、多くの人々が共感し得るものです。

3. 歴史の教訓とその無視

エッセイの最後では、第二次世界大戦における日本の過去の失敗と、それに関連する元首たちの無責任さが語られています。「歴史は繰り返す」という言葉が出てくるが、これに対して著者は強い拒絶感を示しています。歴史の教訓を学ばず、同じ過ちを繰り返すことへの恐れが表れています。この部分は、過去の過ちを繰り返さないために、現代のリーダーシップに求められる責任感と倫理性の重要性を強調しています。

4. ミツバチとの対比

ミツバチの行動を理想的な共存共栄のモデルとして取り上げている部分は、自然界と人間社会を対比させた興味深い視点です。ミツバチが命を維持するために懸命に働く姿を称賛し、そこに理想的な世界観を見出す著者の視点は、現代の人間社会の不条理に対する嘆きと、より良い社会への願望を強く表しています。しかし、そのミツバチでさえも外敵に脅かされるという現実は、人間社会の戦争や侵略を象徴的に表現しています。

5. メッセージの力強さ

このエッセイは、現在の世界情勢に対する強い批判と共に、平和と正義の欠如を嘆く声が込められています。著者の言葉は非常に力強く、感情が込められており、読者に深く考えさせる内容です。特に、権力者たちの行動がいかに世界に悪影響を及ぼしているかを具体的に指摘することで、現代社会の問題点を浮き彫りにしています。

総評

このエッセイは、現代の元首たちの行動を強く非難し、倫理観と責任感を欠いたリーダーシップがもたらす危険性を警告しています。歴史の教訓を無視する現代の政治状況に対する著者の嘆きと憤りが強く伝わってきます。ミツバチとの対比によって理想的な社会の姿を描きつつ、その理想が遠くかけ離れた現実を見つめる視点は、非常に印象的です。このエッセイを通して、著者が訴えたいメッセージは、倫理的なリーダーシップと真の平和の重要性であり、現代の世界情勢に対する深い洞察が込められています。

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西田親生@D&L
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