鈍足な裁判制度がネック!?
▼刑事事件と裁判
刑事事件の場合、警察が逮捕し、検察へ送検するまで最大48時間以内という決まりがある。これは非常に迅速だ。
送検されて検察が起訴(公訴の提起)をするか否か。裁判所へ公判請求するまでには罪状によって異なるものの、刑事裁判が始まるまでには、一般的には約一ヶ月から二ヶ月を要する。
<警察への刑事告発または告訴>
第一関門は、加害者の刑事責任を問う場合、特に、親告罪であれば、被害者が警察に対して、刑事告発または告訴が必要となるが、それを警察が受理するか否かで決まる。
道路交通法やその他刑法に抵触するのであれば、逮捕権を有する警察が動き、容疑者確保そして逮捕から送検へと。
<警察から検察への送検>
警察から検察へ送検し、その事件が起訴になるのか否かという、被害者は大きな分水嶺に立つ。不起訴ならば、逮捕という事実はあるものの、刑事裁判によって加害者を罰することができなくなる。
検察が下す内容は起訴以外に、略式起訴、起訴猶予、不起訴などがある。
<放火殺人事件の裁判>
現在、再び報道で騒がれている「放火殺人事件」についても、明らかに凶悪犯罪であるにも関わらず、加害者の健康状態(心身の健康状態)が整って、初めて裁判が開かれる。
凄惨な事件が起きたのは、2019年7月18日。既に4年以上が経過して、初めて裁判がスタートすることになるが、絶命した犠牲者やそのご遺族のことを考えれば、あまりに裁判への道のりがスローで長くはないかと受け止めざるを得ない。
このような裁判で加害者側弁護士が主張するのは、事件発生当時の加害者の精神的なもの、例えば、心神耗弱状態であり刑事責任能力に欠けるので「無罪」と言い放つが、「無罪」を主張するのは、納得し難い。
<親告罪の告訴期限>
親告罪の場合は、被害者の悲鳴が警察に届くには、確たる証拠も必要ながら、一般的には被害に遭って、最長六ヶ月以内に刑事告発または告訴を行わない限り、事件としては成立しない。そこが重要なポイントである。
例えば、酔っ払いが深夜にアーケード街にある店の看板を壊した場合、器物損壊罪で逮捕されるが、初犯であれば不起訴になる可能性もあり、後は民事裁判で損害賠償請求するか、示談を暗示される。
そこには警察の「民事不介入」という原則があり、刑事事件とは無関係であり、刑事と民事の境目が微妙なところとなる。
▼知的財産権の未来
「知的財産権」に関する刑事事件においても、警察と検察の見解の相違もあり、確たる証拠がありながらも、不起訴に向かう検察も否めない。しかし、被害者が有名人や有名作家であれば起訴に踏み切るが、単なる「差別扱い」としか言いようがない。
アジア諸国は欧米諸国と比較して、「知的財産権」への認識は希薄であり、加害者は虚言を発して逃げるケースが後を絶たない。要因は「著作権法」の機能不全であると言える。
結局、裁判がすこぶるスローなテンポで動き始めるので、事件発生から何年経っても、「被害者救済」は二の次、三の次となってしまう。
<AI時代への対応>
今の時代は、昔と異なり、秒進分歩の速さで激変している。現在、世界中を席巻しようとしているのがAI(Artificial Intelligence/人工知能)であり、現行法は過去へ目が向いており、後手後手の状態になっている。
よって、規制しようとしても、法的規制の対象にならず、被害者は放置の状態となるばかり。
今後、AI世界の中で、「著作権」がどのように保護されて行くのか。画像生成AI、テキスト生成AIやその他音楽なども含めて、喫緊に法整備を行わなければ、今まで以上に「著作権侵害事件」が多発することになる。
▼刑事告訴体験
以下は、筆者の個人的な経験談である。元々、諍いのない世の中を欲する人間なので、刑事及び民事裁判などとは縁遠い人間であると考える次第。
被害に遭えば、それなりに筋を通し「けじめ」を付ける必要があるので、これまで刑事告訴を3回提出したのだった。刑事告訴をせざるを得ない理由は、加害者へ対話を求めても、加害者は対峙を選択し逃げに転ずるからである。
刑事告訴の中身は、二つは「著作権侵害」の被害届であり、三つ目は「脅迫罪及び強要罪」としての告訴であった。現在も「未解決」として、二つが残っており、詳細は語れない。
しかし、「著作権侵害」については、非常に難儀することが多かった。
<加害者の心理的変化>
例えば、刑事告訴を行うと、加害者は捜査機関へは丁重に対応し、虚言も含め、真摯な対応を演出することが多い。しかし、「検察の不起訴率急増」の現状を鑑みると、解決に至らなぬ可能性が高くなり、「告訴取り下げ」を行うこともある。
そこで豹変するのが、悪質な加害者である。刑事事件では真摯な対応のように見せ掛けるが、「告訴取り下げ」の翌る日からは、終始一貫して、言い訳に転じ、被害額への弁償や示談への誠意は皆無となります。
これが、刑事と民事の間に存在するグレーゾーンの弊害ではないかと思われる。もし、民事解決を願い弁護士に相談したとしても、時間と費用が嵩むばかりで、解決の糸口さえ見つからないのが現状である。
<加害者側代理人弁護士への対応(1)>
筆者の場合は自らに非がなく、加害者側代理人弁護士が如何に介在しようとも、堂々と構え、それに対処することにしている。
思いの外、代理人弁護士から送付される書簡は、根拠もなく「難癖」のばかりが含まれている。弁護士が加害者本人の「虚言」をそのまま文章にしているから、本人はそう言っている程度の伝言ゲームでしかない。
本来ならば、加害者側代理人弁護士として「真偽」のほどを精査し、双方の落とし所(合意点)を見出すのが賢明なる弁護士であると筆者は考える。
以前、解決に至った「著作権侵害事件」においても、二ヶ月間で10通近く弁護士事務所から書簡が届いたが、最終的には加害者側が非を認め示談に至った。
<加害者側代理人弁護士への対応(2)>
別の刑事事件では、唐突に送られてきた書簡が根拠のない高圧的で不毛な書簡であったため、一蹴した次第。よって、致し方なく刑事告訴を選択せざるを得なくなったのである。
最近の地方弁護士の書簡を拝見すると、余りにも粗野な書簡が多いように思えてならない。加害者の「虚言」丸出しの状態であり、それでは何も解決することはない。
また、敢えて何通もの内容証明書を送りつける弁護士もいない訳ではない。数年前に某経営者代理人弁護士から「虚言」と「難癖」の固まりのような書簡が7通も送り付けられてきたことがあった。
面倒だが、それら7通の書簡に対して確と対応したものの、ある日突然、その弁護士事務所からの書簡が途絶えたのである。言葉は悪いが、その時点で、「難癖」を付けた側の「完敗」であると感じた次第。
どんなに脅迫的な言葉が書かれている内容証明書であっても、絶対に恐れることはない。自分に非がなければ、堂々と真正面を向けば良いだけの話である。
▼終わりに
本論に戻るけれども、現在の裁判制度は古すぎる。時代劇の遠山の金さんや水戸黄門で見かけるようなシーンが頭に浮かぶ。「公序良俗」よりも、先ずは「弱者救済」がプライオリティの上位にあるべきではなかろうか。
今後は、被害者や犠牲者、ご遺族の気持ちを汲み取り、刑事裁判及び民事裁判が、迅速かつ「被害者救済」の裁判になるよう願えればと考える次第。
最後に、検察における「不起訴率急増」は、検察の怠慢としか筆者の心には映らず、検察審査会には、これ以上に奮起して頂ければと思うばかり。