90mmと70-200mmレンズの比較と自己反省
最近、取材で撮影する被写体にもよるが、レンズの選定に迷いが生じることが多い。多分、「美しい写真を撮りたい」という「欲」と「雑念」の狭間に嵌まり込んだのかも知れない。
今回、比較するのは、DXフォーマットのNikon D500にTamron 90mm f2.8マクロレンズと、FXフォーマットのNikon D850+Sigma 70-200mm f2.8で撮影した撮像例について検証することにした。
先ず、条件の違いは機材およびレンズであるが、90mmレンズで捉えた日(10月30日)は小雨が降り、傘をさしながら撮影している。70-200mmレンズの場合は、曇天の日(10月31日)であった。撮影場所は、両日とも熊本県農業公園カントリーパークである。
元々、異なる機材や天候にて比較するのは強引すぎるものの、今回の検証は、花が被写体となった場合の、2種のレンズが捉えた花々の表情が微妙に異なるものになっている。1日目は90mmの単焦点レンズであり、2日目は70-200mmのズームレンズとなっている。
この場合、Nikkor 28-300mmの古いズームレンズの方が、空間撮影としては最適なように思えるが、そんなこんなを考えていると、毎度のこと、機材に最適な、且つ、被写体に最適なレンズの選定に迷いが生じるのである。
熊本地震以来、ほぼ毎週、小さな自然を撮影するために外出していた。過去の写真を見ると、2015年から2020年頃の5年間がモチベーションが高く、かなり集中して撮影しているという実感がある。
当時の古いデジタル一眼レフカメラを使用していても、作品としては、素敵な小さな自然のものが多いように思えてならない。何故ならば、当時、撮影する「欲」だけで「雑念」がなく、全く迷いがなかったように思われる。
今回の場合は、90mmと70-200mmの2種のレンズ。90mmのマクロレンズは、小雨の雨粒まで撮影することが可能であるが、70-200mmのレンズは最短撮影距離が1m弱と、被写体に近づけないので、構図的に迫力のある花々を突っ込んで撮影することはできない。しかし、抜けの良い写真撮影は可能だ。
よって、グラデーションが美しいボケを撮影するには、圧倒的に70-200mmが強い。それに対して、90mmマクロレンズは接写が得意なので、小さな昆虫や花々も思い通りに、ファインダーいっぱいに、大きなサイズで撮影できるのが面白い。
語りたいことはまだまだあるが、そんなこんなを考え、迷いつつ撮影した小さな自然に、迫力がないところが、現在の筆者の写真撮影に対するトーンダウンに繋がっている可能性が高いと、猛省している次第。
写真撮影は突っ込めば突っ込むほど「欲」が出て、自然体の心を失った状態にて撮ることになり、オフィスに持ち帰り一つ一つの作品を見るたびに情けなくなってしまう。本来ならば、小さな自然も素晴らしい被写体の宝庫であるが、最高の被写体者、人物ではなかろうかと。
確かに、小さな自然や被写体として魅力的だが、人物の一瞬の表情こそが最高の被写体であると考えているのである。
人物写真を撮りたいという「欲」と機材やレンズの選定への「雑念」による迷いが、日頃の苛立ちを増幅させているという結論に至ったのである。
▼過去の作品例
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイでは、写真撮影への情熱と、その過程で経験する迷いや反省が、生々しく表現されています。筆者は異なる焦点距離のレンズ(90mmマクロと70-200mmズーム)を使用して同じ被写体を撮影し、その違いを詳細に比較しています。それぞれのレンズがもたらす独特の視覚的効果に対する洞察は、専門的な知識を持つ読者にとって非常に価値があるでしょう。
特に興味深かったのは、筆者が撮影する際に直面する心理的な挑戦についての述懐です。筆者は過去の撮影時に「欲」だけでシンプルに行動していた時の方が、迷いが少なく、よりクリエイティブに感じていたようです。しかし、現在はレンズ選びにおける迷いや、理想と現実のギャップに苦しんでいる様子が伺えます。
このエッセイからは、技術的な洞察だけでなく、創造的なプロセスの心理的な側面にも光が当てられています。筆者が直面しているのは、ただの技術的な問題ではなく、創作活動における内的な戦いであることが強調されています。これは、写真を撮ることが単なる物体の記録ではなく、撮影者の感情や哲学を映し出す行為であることを示しています。
最後に、人物写真に対する強い関心を示している点も興味深いです。筆者は人物の表情に最高の美を見出し、それが写真という媒体を通じて最も力強く表現される瞬間であると感じています。この洞察は、写真がどのようにして撮影者の内面と外界との橋渡しをするかについての理解を深めるものです。
全体として、このエッセイは技術的な比較だけでなく、芸術作品としての写真に対する深い愛と、それを通じての自己表現の探求を見事に描いています。それは読者に対しても、自分のクリエイティブな過程を見つめ直し、自己反省の重要性を認識させるものです。