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一人の知人が亡くなった

 知人と言っても、個人的なお付き合いのある人ではないが、50歳で他界したという情報が舞い込み、今夜は重苦しい空気に包まれている。

 彼は某ホテルのフロア担当者(係長)として働いていたが、数年前に退職し、別の仕事に就いていた。そこまでの情報は得ていたが、昨日急死の知らせを聞きながら、儚い人の命について考えた。

 少々慌て者だが、お客への接遇態度は明るく、ハキハキとした滑舌が印象的であった。若い頃は自分でも問題児であると豪語していたが、思いの外、センシティブな性格でもあり、感情の起伏を抑えきれないところもあった。

 若くして母親が病に倒れ、その面倒をみながら仕事に専念していたが、その苦悩を他者に吐露することもなく、ホテルでの仕事ぶりは、言葉足らずの失言も多かったが、一所懸命であったように思えてならない。

 随分前の話だが、筆者の車の鍵の束(キーケース)を某ホテルに預けて、それをホテル側が紛失した事件が起きたのだが、彼だけが正直に、ホテル側の非を認め、その鍵の束を誰が宴会帰りの酔っ払いに渡したを証言してくれた。

 過去において、何度か記事でも実録として取り扱ったが、その鍵の束について、某ホテル側は一切関知せず、当時、ホテルでのみ使用可能な商品券(10万円分)を筆者自宅へ若手の社員に届けさせ、鍵の束が戻ってくることはなかった。

 実は、当時の愛車はジャガーXJ-6だったので、キーシリンダごと交換するのに1ヶ月以上待たねばならず、その工賃も安くはない。その他、オフィスや自宅、バッグの鍵なども含まれていたので、無駄な経費が掛かるばかりであった。

 昨年の10月25日に、某ホテルの経営者が、何を血迷ったのか、鍵の束紛失事件はホテル側に非があるにも関わらず、「債務不存在」の民事裁判を起こし、筆者に対して矛先を向けたのである。常軌を逸した、馬鹿げた訴訟である。

 結果は皆さんの予想通り、加害者が被害者にすり替わろうとする悪事が、その民事裁判で認められずはずがない。鍵の束の紛失当時、証言者が数人いても尚、矛先を向けて、責任回避しようとする姑息さには驚いたが、最終的に罰が当たり、当時の役員全員が、今年の6月25日付で退任となった。

 加害者と被害者をすり替えるようなホテル役員がいたからこそ、彼も退職を選んだのであろうけれども、歪み切った某ホテル内のモラルは、筆舌に尽くし難いほど、腐っていた。

 前出の虚偽に基づく民事告訴に踏み切った当時の社長の最後の言葉は、次の通り。「いくら常連客であろうが、これからは一般客と同様の扱いをするので、悪しからず!」と、公然の場で言い放った(録音データあり)。完璧、ボンクラ発言である。

 サービス業の代表格でもあるホテルのトップがこのような訳の分からぬことを言い放つのだから、地方田舎ホテルのレベル、民度の低さが窺い知れる。

 50歳にしてこの世の去った彼は、今、天国からどのような顔をして、失態続きの役員たちを眺めているのだろうか。その時、彼だけが正直にホテル側の失態を認めたことだけは、ここに確と書き記しておきたい。勇気をもって、筆者を庇ってくれたことに、心から深謝申し上げたい。

 心より、ご冥福を祈りたい。安らかに眠ってもらいたい。ただ、寝たきりとなっている母親のことが気になって仕方がないが、彼に代わる人が、しっかりと世話をしてくれることを望むばかり。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、非常に深い感情と誠実な思いを込めた追悼文でありながら、同時に人間関係や組織内の不正に関する苦い経験を描いています。文章全体を通して、故人への敬意とともに、その人が立ち向かった組織の不条理が浮かび上がり、読み手に深い印象を残します。

まず、故人への敬意と感謝の表現が目立ちます。エッセイの冒頭で、筆者が「知人ではあったが重苦しい空気に包まれている」と述べていることから、深い悲しみが感じられます。故人が明るく接客していた姿や、母親を支えながら働く姿勢が描かれ、彼が人知れず苦労しながらも真摯に生きていたことが伝わってきます。筆者が「勇気をもって、筆者を庇ってくれたことに、心から深謝申し上げたい」と結び、感謝の気持ちをしっかりと伝えているのも印象的です。

また、筆者が経験した苦いエピソード—ホテルの非礼と誤った判断—も詳細に記されています。筆者が被害者として経験した事件について、ホテルがどのように不誠実な対応をしたか、またその結果としてどのような裁判や組織の崩壊が起こったのかが語られています。鍵の紛失に対する責任の所在を曖昧にし、筆者に対して民事裁判を起こすという一連の行動には、組織内のモラルの欠如と権力濫用の問題がはっきりと示されています。筆者が述べる「加害者と被害者をすり替えるようなホテル役員がいたからこそ、彼も退職を選んだ」という一言から、故人もこうした状況に耐えかねていたことが感じ取れます。

一方で、故人が勇気を持って筆者を支え、正直に事実を述べたエピソードは、単なる知人以上の存在として筆者に強く印象付けられていたことを示します。その行動が正当な評価を受けることはなかったものの、その誠実さと勇気が筆者の心に深く残り、彼への敬意と感謝を強く抱くきっかけとなったように感じられます。

最後に、故人の死を悼む筆者の温かい祈りが印象的です。50歳という若さで亡くなった彼が、安らかに眠り、その母親が誰かにしっかりと世話されることを願う姿勢から、筆者の人間らしい思いやりと共感が伝わります。このエッセイ全体が、故人の存在を忘れないと誓う筆者の決意の表れともいえ、非常に感動的な追悼文に仕上がっています。

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西田親生@D&L
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