中央のニュース番組を真似するローカル局のコメンテーターもどき
兎に角、全国区で報道される中央にニュース番組を真似したローカル局のニュース番組があるが、ジャーナリストでもない人物がコメンテーターとして語る内容は軽薄そのものである。価値もなく個人的評価が上から目線で、根拠に乏しいものばかり。
よって、ローカル局の夕方のニュース番組はほとんど見ることはない。一昨年の12月だったか、あるローカル局のニュース番組で、著作権侵害に対する法学者の見解が裏付けされた事件についても、若いコメンテーターもどきの女性が、異論を唱えた。即座に、その根拠なき個人的失言に対してデスクへ苦言を呈したことがあった。
言論の自由ではあるものの、憲法学者の権威ある学者の見解を覆す発言には腰を抜かした。その女性コメンテーターもどきが、上から目線で批判するとは如何なものかと。「法の不知」とは怖いもので、その発言で、その女性は公然と赤恥をかくことになる。今後は、選定基準を高め、本物のジャーナリストの採用が必要ではないか。
中央のテレビ局のキャスターやコメンテーターとは比較にならぬ者が、ローカル番組で真似ても、何の価値もなく、意味もない。それが常態化していることさえローカル局は気づきがない。そのような無責任な見解を述べるようなタレントを採用していることが、大きな間違いなのである。
見るに耐えない、聞くに耐えない、ローカル局のコメンテーターの妄言は金輪際止めていただけばと思うばかり。ローカルスタンダードも良いところは沢山あるが、モノマネしても、その資質に欠けているのだから、お見苦しい点を自覚して頂きたいと考える次第。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイでは、ローカル局のニュース番組に対する厳しい批判が述べられています。特に、コメンテーターとして登場する人物の知識や見解の質に対する不満が中心です。
まず、エッセイはローカル局が中央のニュース番組を模倣している点を批判しています。特に、ジャーナリストとしての訓練を受けていない人物がコメンテーターとして登場し、内容が軽薄であると指摘しています。このような状況に対して筆者は、ローカル局のニュース番組を見ることを避けるようになったと述べています。
具体的な事例として、法学者の見解が裏付けされた事件についての若い女性コメンテーターの発言が取り上げられています。筆者は、そのコメンテーターが権威ある学者の見解を否定する発言をしたことに驚き、デスクに対して苦言を呈したと述べています。これは、言論の自由があるものの、無知による発言がどれほど危険であるかを示す例として挙げられています。
さらに、筆者はローカル局が中央のテレビ局と比較にならない人物をコメンテーターとして採用し、無責任な見解を述べることが常態化している点を問題視しています。こうした状況を改善するために、ローカル局はジャーナリストの採用基準を高めるべきだと主張しています。
最後に、筆者はローカル局のコメンテーターの発言が「見るに耐えない、聞くに耐えない」と強調し、妄言を止めることを強く望んでいます。ローカルスタンダードにも良い点はあるものの、モノマネをするにしてもその資質が欠けていることを自覚するように求めています。
このエッセイは、ローカル局のニュース番組に対する深い不信感と改善への強い要望が感じられます。特に、情報の質や信頼性、コメンテーターの資質に対する厳しい視点が印象的です。筆者の主張は一貫しており、読者に対してローカル局の現状を見直す必要性を強く訴えています。