わらび餅の想い出・・・あの時のお婆ちゃんのわらび餅に敵うものはない!
中学生の頃に眼を患い、手術をすることになった。そんな大事な手術ではないが、右眼の手術を終えて、帰途についた。
ところが、麻酔が途中で切れて、激痛が走り出す。公園の中をトボトボと歩きながら、とうとう痛みに耐えられず、目の前のベンチに座り込んでしまった。
じっとしていると激痛は少しは収まる。しかし、直ぐに歩こうとすると痛みが戻ってきそうなので、もう少しベンチで休憩することにした。
突然、背後をから声が聞こえた。「どうしたの?体調でも悪いの?」と、頰被りをしたお婆ちゃんがリヤカーを止めて話し掛けてきた。
「ええ、ちょっと眼の手術をして、痛みが激しいので、座ってました。」と答えると、心配そうな顔をして、新聞紙で包んだものを持ってきてくれた。
「これは、わらび餅。冷たくて美味しいよ。痛みも弱まると思うから、少しだけと食べてくんないよ!」とニッコリ笑って、去っていった。
背後からお礼を言うと、手を振ってくれたお婆ちゃん。リヤカー引いて、あちこちでわらび餅を売って回っているのが窺い知れた。
頂いたわらび餅は冷たくて、とても美味しそうだ。眼帯の目玉の奥が熱を帯びて痛かったが、少し和らぎ、元気になった。わらび餅は、殊の外、美味かった。
それ以来、わらび餅が大好きになって、あちこちへ遊びに出た時に、わらび餅売りのお婆ちゃんが居るか探すようになった。しかし、あれ以来その姿を見ることはなかった。
わらび餅のお婆ちゃんと遭ったのは随分昔の話なので、今は天国にいるのかも知れない。ただ、売り物のわらび餅を頂いたことは、昨日のように鮮明に覚えており、確とお礼を言えなかったのが心残りとなっている。
実は、本日久しぶりに抹茶わらび餅を目の前にして、食す前に、わらび餅のお婆ちゃんの笑顔が浮かび上がってきたのである。
残念ながら、このように心優しい人が、今の時代、随分少なくなってきたように思える。人は一人では生きて行けないのだから、もっと自然体で、心配りできる人間にならねばと・・・。
困った時に、そっと助け舟を出してくれる人がいる時代は、向こう三軒両隣の、良き時代の日本の象徴的なものである。何とも、懐かしくてたまらない。
正直なところ、今日の結構なお値段の抹茶わらび餅は、当時のお婆ちゃんから頂いたわらび餅には敵わなかった。
その節は、大変ご馳走になり、有難うございました。