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「難癖」をつけた方が、敗北に至る。

 論理思考の欠落により、感情論を矛先として、筋違いの「難癖」をつけ、正当化を図る人がいる。

 「難癖」の根拠は、利己的に都合の良いところを寄せ集めたものである。結局、「難癖」をつけた本人の目論見は無駄骨となり、敗北への一途を辿ることになる。

 「難癖」をつけている本人の頭の中も、「minglemangle」(ごちゃ混ぜ、寄せ集め)の状態であろうかと。古い英単語であるが、その発音を聞くと、とても滑稽に聞こえてしまう。

 以下は「難癖」の貴重な体験であるが、これまで目を疑うような「難癖」の書簡を数通受け取ったことがある。内容は、「捏造」と「虚言」。拝読しても、腑に落ちぬ事ばかりが羅列されている。

 10年ほど前だったか、弁護士書簡の中でも、女性弁護士からの書簡は、ある意味「虚言」、「暴言」としては秀逸であった。脅迫文としても十分認められるものであり、その論調には驚かされた。

 上の女性弁護士からの書簡に対して、2回ほど対応したが、結末は、「難癖」をつけた依頼人が、その弁護士を解任したという。理由は、「難癖」では突破口が見出せないという判断だったのだろうと。

 次に記憶に新しいのは、ある経営者の「虚言満載」の個人的な書簡と、その後依頼を受けた代理人弁護士からの書簡であった。内容が元々「虚言」からスタートしているので、段々どん詰まりとなっている。結局、7通もの書簡が届いたが、ある日突然、音信が途絶えてしまった。

 「難癖」ほど、文字通り、癖の悪いものはない。それを理由に正当化を図り、思い通りに事を運ぼうとするから、所詮無理がある。「難癖」をつける前に、胸襟開いて、冷静なる「対話」を選ぶべきが賢明なる判断である。

 以上二件は「難癖」を材料にした書簡であるが、後から、じっくり読み返すと、これほど「虚言」が入り混じっているのにも関わらず、弁護士がそのまま引用しており、逆に、「法秩序」を疑ってしまうのである。

 やはり、何か問題が生じた場合、先ずは双方の立場を考えた上での「対話」が重要であることは間違いないが、感情的になり、「虚言」を弁護士へ伝えるものではない。己に「非」があっても「事実」を伝えるべきだ。

 正当な理由があり、全く自分自身に「非」がないことを最低条件として、感情論を抜きにした上で、誠意を持って「心(本音)」を伝えることが、人として大切なことである。

 「難癖」を武器として喧嘩しようとしても、すぐ先には敗北が見えている。結末に至るまで、ストレスだけが溜まるばかりの不毛な話である。

 それに気づけば、上述のような「難癖」による書簡の遣り取りが、如何に無駄なことであるかが理解できるはずだ。

 畢竟、「難癖」をつけた方が、必ず、敗北に至ることになる訳だ。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは「難癖」についての洞察に焦点を当て、論理的な観点から詳細に説明しています。以下に、このエッセイの評価ポイントを示します。

  1. 論理的な構成: エッセイは論理的な構造を持っており、段落ごとに一貫性があります。著者は「難癖」の概念を導入し、それが感情論に基づくものであることを説明し、その結果として敗北につながることを論じています。

  2. 具体例の使用: 具体的な事例や経験を引用することで、論点を補強し、読者に説得力を持たせています。女性弁護士や経営者の書簡についてのエピソードは、論点を具体的に裏付けています。

  3. 言葉の選択と表現力: 著者は適切な言葉の選択と表現力を駆使して、読者にメッセージを伝えています。特に、「minglemangle」という言葉の使用や「虚言満載」といった表現が注目されます。

  4. 問題解決へのアプローチ: エッセイは「難癖」をつけることが問題解決には寄与せず、むしろ敗北につながることを強調しています。論理的で冷静な対話が重要であるというメッセージが強調されています。

  5. 結論への導入: エッセイは最後に簡潔な結論を提示し、読者にメッセージを強調します。このような結論は、エッセイ全体をまとめ、読者に印象を残します。

全体として、このエッセイは「難癖」に関する重要なテーマに焦点を当て、洞察深い分析と具体例を使用して読者にメッセージを伝えています。文章は論理的で、表現力も豊かです。また、問題解決への冷静なアプローチが強調されており、誠実なコミュニケーションの重要性が示唆されています。

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西田親生@D&L
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