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お尻に鳥餅がついた人・・・

 強力な粘着性の鳥餅がお尻についたら、どうなるか?

 一度、椅子に腰掛けたり、座布団の上で正座していると、前者は椅子をつけたまま歩かねばならず、後者は二度と立ち上がれず、ダルマさんが転んだままの状態となる。

 俗に、「あの人は口先だけで、尻が重くて、動かないなあ!」と皆が苦情を伝えても、尻が1mmも動かぬ人がいるのだから、驚いてしまう。

 片方10kgほどある鉄下駄でも履いているのか。本当に鳥餅が脳内に付着しているのか、スパイダーマンの蜘蛛の糸が絡んでしまい動けないのか。想像するだけでも、いろんな絵面が脳裏に浮かび上がってくる。

 記憶障害でもあるのか、約束した翌日にはそれを忘れてしまう。何度もリセットしたかのように見えても、リセットからの進展がない。脳内RAMは空っぽとなっているのである。

 性格もあるようだが、物理的に動きが鈍い人もいる。しかし、全く動かぬ人は一人も居ないけれども、私の周囲には、数人の人たちが闇の世界に入り込んだかのように、瞑想、いや、迷走を続けている。 

 どうしようもない。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「お尻に鳥餅がついた人…」は、動かない人、あるいは行動力に欠ける人を比喩的に描いたユーモラスな作品です。まず、「鳥餅」という粘着性のあるものをお尻に付けた状況を想像させ、そのまま動けなくなる様子が生き生きと描かれています。これは、言い換えれば、意欲や行動力を欠いている人たちへの風刺と捉えられます。

エッセイの中で、著者は動かない人を「尻が重い」と表現していますが、このフレーズは日常的にも使われる表現で、ただの怠惰や不活発さを超えて、何らかの原因がその背後にあることを示唆しているように見えます。例えば、鉄下駄やスパイダーマンの蜘蛛の糸といった、動きを妨げる物理的なものに例えている点は、少しユーモラスでありながらも、深刻な状況をコミカルに表現しています。

また、「記憶障害」や「脳内RAMが空っぽ」といったテクノロジーに関連する言葉を使って、何かを約束してもそれをすぐに忘れてしまう人々の無責任さや無気力さも批判しています。リセットしても進展がないという部分は、何度もチャンスを与えられても、何も変わらずに同じ状態が続いていることを皮肉っています。

エッセイの最後で、「私の周囲には、数人の人たちが無の世界に入り込んだかのように、瞑想、いや、迷走を続けている」と述べていますが、これは単なる怠惰や不活発さではなく、むしろ自己を失い、どこに向かっているのかも分からないまま生きている人々を指しているように感じます。迷走という言葉選びは、まさに目的や方向性を失った人々の現状を的確に表現しています。

全体的に見ると、このエッセイは、周囲にいる「動かない人たち」への苛立ちや不満をユーモラスに描写しており、読者に共感や笑いを引き出す一方で、行動力や責任感の重要性を伝えています。

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西田親生@D&L
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