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読むと、理解するとは大違い。

 本を読んだり、新聞を読んだりする場合、人によっては、単に読み流す人もいれば、熟読して理解できるまで何度も読む人もいる。

 筆者は、時には、特に近場にいる人たちへの暗示や提案として、エッセイやコラムを書くが、ほとんどの方々は理解してくれているが、ピンポイントでその人への危惧の念を込めてのコラムを書いて、Facebook非公開グループの中でリンクさせて、気持ちを伝えることもある。

 しかし、既読となっていても、何年経っても、改善の余地なしという人が、現在ただ一人だけ存在する。理由は分からないが、単に読むだけで、心底から理解していないのだろうと推察する次第。

 ここまでくると、それ以上、苦言や提言を書く必要もなく、時間の無駄であるだけの話となってしまう。過去を振り返っても、理解に苦しむ言動があったり、一般的に理解可能なものであっても理解できていなかったとり、一般的な人との価値観と理解度に微妙なズレがある。

 これは、育ちもあろうが、多分に、社会人となって、社会人教育をしっかりと受けていないようでもあり、自らのスタンダードが全てに通用すると思い込んでいる節もある。

 また、仕事環境においては、「忖度」ありきでの会社である。同族企業ではよくある話で、その職場のスタンダードがグローバルだと思い込んでしまう。アジェンダがあっても、結局は決定権者の鶴の一声で決まってしまう。そのような環境下では、価値観というものが折れ曲がってしまう。

 更に、その地域以外への研修視察などが全くない会社のようで、県内外に向けて見聞を広める機会さえ与えられていないところが、個人への悪影響を助長しているに違いない。逆らえば左遷または解雇となり、従えばそれなりに仕事ができるという、ローカルならではの弱者の足元が見え隠れする。

 ピンポイントで、その人物に「気づき」と「改善」を促し、これまで歪んでいる点を改善できれば、もっとその人物の視野が広がり、肩の力が抜け、自然体の良さが理解できはしないかと考えているのだが、そろそろ、その期待値が皆無に等しいと思わざるを得ないほど、時間は経ってしまった。

 誠に、残念なことではあるが、聴く耳を持たぬ人は、狭い領域での人生観と価値観で終わってしまうのである。

 最後に、過去を振り返ると、筆者が嫌われるのを覚悟で苦言を呈した経営者で、聴く耳を持たなかった人たちは、先祖から受け継いだ会社を全て廃業させてしまったという黒い共通点を、ここに記しておきたい。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「読むこと」と「理解すること」の違いについて、特に職場や社会でのコミュニケーションに焦点を当てています。筆者の経験に基づいた具体例を挙げながら、理解することの重要性と、それが欠如した場合の影響について述べています。

感想:

  1. 共感できる内容:

    • エッセイの中で、筆者は「読む」と「理解する」の違いについて強調しています。これは、多くの人が日常生活や職場で経験することであり、特に重要なテーマです。情報をただ読むだけでなく、深く理解することが、個人や組織の成長に繋がるという点には大いに共感できます。

  2. 具体的なエピソード:

    • 特定の人物に向けたコラムを書くという実践例を通じて、その人物の理解不足や改善の余地について述べている部分は、筆者の意図や思いがよく伝わってきます。筆者の思いが伝わらないことに対する苛立ちや諦めが感じられますが、同時に、相手を思いやる気持ちも伝わってきます。

  3. 職場環境と価値観のズレ:

    • 同族企業や忖度のある職場環境についての言及は、多くの人が共感できるテーマです。特に、決定権者の意向が絶対的である環境や、研修視察の機会がないことで視野が狭まるという点は、組織の問題点を的確に捉えています。

  4. 改善への期待と挫折:

    • 筆者がその人物に対して「気づき」と「改善」を期待しているが、時間が経っても改善が見られないことへの失望感が表現されています。この部分は、人間関係や職場での指導において、同じような経験を持つ人にとって非常に共感できるでしょう。

  5. 結論と反省:

    • 最後に、筆者が過去に苦言を呈した経営者たちが結局は会社を廃業してしまったというエピソードを紹介しています。この部分は、理解や改善の重要性を強調するとともに、理解されなかったことへの悲しみや無力感も感じられます。

総評:

このエッセイは、情報の単なる受け取り手ではなく、深く理解し、行動に移すことの重要性を強調しています。筆者の具体的な経験を通じて、職場や社会でのコミュニケーションの重要性を改めて考えさせられます。また、理解されないことへのフラストレーションや、相手を変えることの難しさについても触れており、非常に現実的で共感できる内容となっています。

筆者の苦言が相手に届かないことへの苛立ちや失望感がありながらも、相手を変えたいという思いが伝わってきます。このエッセイを通じて、多くの人が「読むこと」と「理解すること」の違いについて考え、自らの行動を見直すきっかけとなるでしょう。

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西田親生@D&L
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