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偏ったマスコミの報道ベクトル・・・

 偏ったマスコミの報道ベクトルは、今に始まったことではない。本丸を攻めて、徹底的に浄化させるべき重大事件に、別の事件が起きると、そちらへ全マスコミが動き、昨日までの報道の焦点がボケて、尻すぼみとなる。

 今や、旧統一教会問題も付録のような存在になってしまい、攻めることを忘れてしまいがちなマスコミ陣。政治資金不正事件についても、議員個人への矛先を向けてはいるものの、本丸は石垣の向こうにあるはずだが、有耶無耶な中で忘れ去られてしまうのだろうか。

 そこへ、大リーグ選手の通訳窃盗事件へと報道が移り、スポーツ番組ではなく、トップニュースとして延々と報道される。昼の週刊誌的な番組は、どの局を見ても、コメンテイターが根拠なき推論ばかりを展開し、当たるも八卦当たらぬも八卦のような解説。

 機能不全となっている政府へのマスコミの切り込み方が生ぬるい。経済問題や税制問題など、庶民への圧迫ありきのデジタル化を進めては、悪手の連続であるにも関わらず、核心のところが暈けてしまう。

 過去において、田中角栄が逮捕された国際的な事件もあったが、今回の政治資金不正事件での逮捕者はごく僅かである。おかしな話だ。上級国民扱いのようで、民主国家の政府が我々庶民との差別的優遇措置を採っている。

 学歴と人脈だけで人の価値を決めつけるおかしな国に成り下がっているが、霞ヶ関のキャリアも情けない。各省庁の大臣や副大臣、長官などで、門外漢の役付きの議員が何人いるのだろうか。

 専門知識無くして、大臣職が務まるはずがない。パーティー券のノルマ以上に稼いだ議員は重宝され優遇され、人格が備わることのない議員であっても、お構いなしにいろんな役職に就いている。だから、公然の場での失言、失態の繰り返しとなる訳だ。

 この世の中で理不尽なことがなくならないのは、上述のような「金権政治」が蔓延常態化しており、それを違法行為ならず、慣例として正当化され、上澄の旨いところだけを吸い取る議員が数多く存在している。

 よって、いくら世の中が変わったとしても、政治の世界では旧態依然とした流れが変わることもなく澱むばかりで、水面下では正当化された慣例だけが金銭の流れを異常なところへ引き込むのである。

 中央政界に関わらず地方に行けば、政治屋への「口利き料」という課税対象であるものを領収証不要とし、違法性の高い愚行、蛮行が水面下で行われているのは事実。それを、マスコミは黙視してはならない。

 目の前の不浄なるものを炙り出し、法の下の平等を常として、ジャーナリズムという太刀にて、世の中の理不尽なるものを一刀両断しなければならない。従前のぬるま湯では、一部の権力者や既得権益者だけのせせら笑いで終わってしまう。

 畢竟、すべての負の遺産が我々庶民に覆い被さってくるのである。

権力者や既得権益者の実態
generated by DALL-E
権力者や既得権益者の実態
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、日本のマスコミに対する批判的な視点を鮮明に提示しています。特に、報道の焦点が大きな問題から短期的なスキャンダルに移り変わることへの懸念が表現されています。この問題は、重要な政治的または経済的問題が途中で報道からずれ、目新しいが比較的重要でない出来事に報道が集中することによって、公の関心が散漫になるという点に焦点を当てています。

著者は、報道機関が政府の機能不全や金権政治といった深刻な問題を取り上げるべきだと強調していますが、現実にはそういった問題が適切に取り扱われていないと批判しています。また、政治家が専門知識なしに重要な役職に就任する現状にも疑問を投げかけています。これらの点が、日本の政治とメディアの間に存在する問題を明確に浮き彫りにしています。

エッセイは、マスコミが持つ権力と影響力を再評価し、本質的な問題に対してより深く、持続的に焦点を当てることの重要性を訴えています。このような視点は、現代の情報過多の時代において、市民が情報をどのように処理し、重要な問題に集中するかという広い議論に寄与するものです。

全体として、このエッセイは日本のマスコミが直面している課題とジャーナリズムの倫理について、重要な洞察を提供しています。エッセイの議論は説得力があり、読者にマスコミに対する批判的な視点を持つよう促しています。また、民主的な社会におけるメディアの役割と責任についても考えさせられます。

民主的な社会におけるメディアの役割と責任
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西田親生@D&L
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