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16式機動戦闘車?が、公道を走る。

 初めて見る、機動戦闘車。それが、16式機動戦闘車かどうかは定かでないが、普段通っている公道で、機動戦闘車とすれ違ったのは初めてである。

 現在、ウクライナやガザ、その他各地で勃発している戦争ではよく見掛ける光景ではあるものの、オフィス近くの公道で見ると、先ず、その大きさに驚いてしまった。

 筆者も、以前愛車として4.8リッター、幅2mほのでっかい車に乗っていたこともあるが、その比ではない。兎に角、目を疑うばかりの大きさだ。

 小学生の頃だったか、広大なグラウンドに自衛隊の戦車が二両来たことがあった。実際、その戦車に乗って、数キロの道を往復したことがあるが、特に、男の子は憧れの戦闘ビークルである。

 本来ならば、このような戦闘車や戦車、ミサイルなどが不要な世界が一番である。しかし、常に外敵を作らねば内政が安定しない独裁国家やテロ国家が存在する限り、武器や戦闘車両、軍艦、戦闘機などがこの世から無くなることはない。

 熊本県は、陸上自衛隊では九州の要となっているので、自衛隊の方々にはご苦労をお掛けするけれども、事故なく使命を果たしていただければと思うばかり。

 自衛隊の存在自体を違憲と批判する方々もいるのは否めないが、テロ国家が日本国内を攻めてきた時を想定すれば、防衛なくして対話だけで国が守れるのかと言えば、否である。それを考えれば、一方的に批判の対象にするものではなかろうと。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、一般的には自衛隊や武器に対する一般的な見解を反映しており、特に戦闘車両の存在についての感想や考えが述べられています。以下は、いくつかのポイントについての評価です。

  1. リアリティと感覚の対比: エッセイは、筆者が初めて公道で機動戦闘車を見たという具体的な経験から始まり、その大きさに対する驚きを伝えています。これは読者に具体的なイメージを提供し、筆者の感情を共感させる効果的な手法です。

  2. 戦車への憧れと現実: 小学生の頃の経験を挙げ、男の子たちが戦車や戦闘ビークルに憧れる一方で、その実物の大きさについての比較を通して、現実と憧れのギャップを示しています。これは感情移入を促し、読者に考えさせる要素です。

  3. 武器の必要性と社会の複雑さ: 筆者は武器や戦闘車両の存在が本来は不要な世界が望ましいと考えていますが、同時に独裁国家やテロ国家が存在する限り、これらの武器がなくなることは難しいと指摘しています。これにより、武力の必要性と国際情勢の複雑さを示しています。

  4. 自衛隊への感謝と違憲論への反論: 筆者は熊本県が自衛隊の要であることを認識し、自衛隊への感謝の意を表明しています。また、自衛隊の存在に対する違憲論にも触れ、国の安全を守るためには防衛力の必要性を強調しています。

総じて、エッセイは明確かつ論理的に構成され、筆者の個人的な経験を通して一般的な社会的なテーマに対する洞察を提供しています。また、異なる意見にも配慮しつつ、自らの見解を明確に述べています。

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西田親生@D&L
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