「10時間、待て。」と言われても・・・
毎年年末に届けられる「帝国ホテル」のオリジナルクリスマスケーキ。
「10時間、待て。」と言われると、待てなくなるのが凡人たる筆者である。冷凍された帝国ホテルのクリスマスケーキの箱をこそっと開けてみる。
例年はモンブラン系のケーキだったが、今年は彩鮮やかなクリスマスカラーのベリー系ケーキである。
宅配便が届き5分も経ってないので、まだ各種ベリーに霜が降りている。この鮮やかな色のケーキを10時間も待つのは耐え難い。
先ほど、オフィスでランチを済ませたばかりなので、午後3時となれば、オヤツタイムと重なり合ってしまう。困ったものだ。
同ホテルの一般会員になって30年ほどが経つ。最近は以前と比較すれば、熊本地震やコロナ禍などに遭遇し、直接足を運ぶことができないでいる。
十数年前に、父の叙勲で同ホテルに宿泊し、母が他界して同行できないために、筆者がエスコートして、同ホテルと皇居の往復、最高検察庁検事総長主催パーティ会場へも連れて行った。
同ホテルのリムジンを利用して、今は亡き父は、当時、「一生で勿体ないほどの貴重な時を過ごすことができた。」と、生まれて初めて褒められたものである。因みに、ルームサービスの豪華料理がとても気に入ったらしい。
書棚には、帝国ホテルの百周年記念誌及び百二十周年記念誌(二冊とも非売品)があり、これまで何度も目を通し、同ホテルの歴史や伝統、オリジナル料理やエピソードなど、頭にインプットしている。
同ホテル地階にある、直営フレンチレストラン「ラ ブラスリー」では、当時のマネージャーと「帝国百年クイズ」を出し合って楽しんだこともあった。とてもクレバーで笑顔が素敵な若手マネージャーであった。
国内では「ホテルのホテル」として、五つ星ホテルの代表格である帝国ホテル。しかし、ここで忘れてならないのは、決して敷居は高くはなく、すこぶるフレンドリーで痒いところに手の届く配慮深きホテルということだ。
宿泊客が玄関に入ると「お帰りなさい。」と声を掛けてくれるベルボーイさん。外出する時もチェックアウトが済んでも、「行ってらっしゃいませ。」と言葉を掛けてくれるほどのフレンドリーさである。
これは愚痴になるけれども、田舎熊本においては、このレベルの最高のホスピタリティーを実践しているホテルは皆無に等しい。酷いところは、常連客を個人攻撃するような下品なシティホテルも存在するのだから呆れてしまう。筆者も被害者の一人なので、これは事実であるとしか言いようがない。
帝国ホテル(1887年12月1日開業)を筆頭に、ホテル文化が国内に浸透し始めて、わずか136年。熊本市内では60年ほどの歴史しかないので、本物のホスピタリティーが根付いているかと言えば、それは否である。
何はともあれ、「ホテルのホテル」が提供する素敵なクリスマスケーキ。じっくりと楽しみたい。よって、冷蔵庫のドアを10時間以上は閉じたままにしておこうかと。しかし、24時間以内には食べなければならない。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、筆者が「帝国ホテル」のオリジナルクリスマスケーキに対する期待や思い出、そしてホテルのホスピタリティーに関する感想を述べたものです。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。
感情表現とストーリーテリング: エッセイは感情豊かであり、特にクリスマスケーキを待ちわびる筆者の期待や興奮が伝わります。また、ホテルの歴史や家族の思い出を通して、読者に筆者の経験を共感させるストーリーテリングがなされています。
文体と言葉遣い: 文体は比較的軽快であり、読み手を引き込む魅力があります。言葉遣いも自然で、筆者の感情や思考が明確に伝わってきます。
細部へのこだわり: 筆者は帝国ホテルに関する細かなエピソードや思い出に言及し、読者にホテルへの深い愛着を感じさせます。これにより、読者は筆者の視点からホテルの魅力や特別な要素を理解できます。
感想の客観性: 筆者の感想は主観的であり、ホテルに対する愛着や好意がストーリー全体に影響を与えています。客観性が一部抜けているかもしれませんが、これはエッセイの性格上、許容される範囲です。
総じて、このエッセイは感動的であり、ホテルへの深い愛情が伝わってきます。読者は筆者の目を通して、特別な瞬間やホテルの魅力を感じることができるでしょう。