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後を絶たない著作権侵害事件

 起業して嫌な思いをしたのは何かと問われれば、『著作権侵害』の被害者になったことである。これまでに十数回の被害履歴があり、自慢にもならなず、現在でも熊本県内で四件、滋賀県栗東市で一件が未解決のままだ。

 1995年を境に、ネット事業を本業としてきたものの、筆者の写真や記事内容が無断使用され盗作本としてAmazonで有料販売されたり、YouTubeの動画を全く知らぬサイトにアップされたり、あちこちで勝手に無断使用されていた。

 ネット事業が本業であり、情報発信量も多いので、仕方のないことだと諦め掛けたり、被害に遭っても刑事事件や民事事件とは縁遠く過ごしてきたので、泣き寝入りすることが多かった。

 『著作権侵害』を犯したのは、基礎自治体や第三セクタ、そして企業、個人事業主、生産農家などさまざまである。『法の不知』なのか、故意なのか判らないが、無断使用するのは違法行為となる。

 そこで、『著作権侵害』の箇所を発見し指摘すると、証拠隠滅して逃げるばかりで、誠意を持って対応した人は、皆無に等しい。決して気持ちの良いものではないが、結局、『著作権侵害』に対する猛省も謝罪もない人が多い。

 『著作権法』が大変厳しくなっていることを知らぬ人が多すぎる。例えば、刑事罰は10年以下の懲役または1000万円以下の罰金という規定もあり、とても重い刑罰となっている。

 一昨年、初めて刑事告訴に踏み切ったのは、誠意ある対応がなかったことが要因であった。勿論、容疑者へ恨み辛みなど毛頭ない。しかし、少なからずとも事実を認め、直接謝罪の言葉だけは欲しかった。

 『法の不知』なることを言い訳に、過失なので違法行為にならぬと勝手に思い込んでいる。それは、余りにも身勝手な法解釈であり、『著作権』自体を軽視しているに過ぎない。

 日本は先進国であるが、知的財産権についての認識が甘い。手にとって重さを感じない写真や動画、デザインなどへの価値を認めぬ人がいる。よって、どんなに『著作権法』が厳しくなったとしても、『著作権侵害』という違法行為がなくなるはずはない。

 著作権侵害の被害に遭えば、刑事、民事で争うことができるが、刑事告訴を行なったとしても、検察側が民事解決との判断をする傾向にあり、刑事罰を与えるのは、相当大きな事件でない限り、起訴の可能性が低いのが納得いかぬところである。

西田親生の自由気まま書「連」

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、著者が直面した著作権侵害の問題について具体的に述べられており、そのフラストレーションや苦しみが強く伝わってきます。特に、1995年からインターネット事業に取り組んでいる中で、写真や記事が無断で使用されるケースが後を絶たないという現実が描かれており、著作権侵害が日常的に発生していることの深刻さが伝わります。

エッセイの中で目立つ点として、侵害者が基礎自治体や第三セクター、企業や個人など多岐にわたることが挙げられます。これにより、著作権侵害が個人や特定の団体に限られない広範な問題であることが明示されており、社会全体での認識不足が浮き彫りにされています。

著者は、法的手段を取る前に、多くのケースで泣き寝入りしてきたという経験を述べており、その背後には、侵害者が誠意ある対応を取らず、証拠隠滅を図ることがほとんどであるという事実があることが強調されています。この点は、著作権者としての無力感や失望感を感じさせる部分です。さらに、一昨年に初めて刑事告訴に踏み切った背景には、誠意ある対応がなかったことが要因として挙げられており、法的措置に踏み切るまでの経緯が個人的な葛藤とともに描かれています。

著者が指摘する「日本は先進国であるが、知的財産権に対する認識が甘い」という部分は、社会全体の課題として響きます。特に、写真や動画、デザインといった無形の財産に対する価値認識が不足していることが、著作権侵害がなくならない一因として述べられている点は重要です。この主張は、今後の知的財産に関する教育や法的な認識向上が必要であるというメッセージにもつながっています。

エッセイ全体を通して、著作権を守ることの重要性、そして侵害行為がもたらす個人の感情的なダメージが強く描かれており、知的財産の保護がいかに現代社会で課題となっているかを改めて認識させる内容です。

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西田親生@D&L
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