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<茶碗の持ち方、箸の使い方> 身近なところから語れば、茶碗の持ち方や箸の使い方。礼儀正しく使える人は極稀である。幼い頃から教えられていないところを曝け出し、社会人として公然と赤恥をかいてしまうことになる。
noteをスタートして、まだ、3年ほど(実際に投稿開始して2年10ヶ月弱)だが、これまで投稿した記事が3,337本。そして、昨夜通知があったように「スキ」が73,000件とは、ただ、ただ、感謝するばかり。 日常の人間模様や社会事象、そして本業のICT、生成AI、Apple Macの真髄などを、思いつきで書き綴る、エッセイやコラム。 後ほど読むと、恥ずかしいものもあり、また、無駄な記事も多い。自己評価であるが、良く言えば人間らしく、悪く言えば拙い記事が多いということに
以前の記事でも軽く触れたけれども、ネット上では、WebサイトでもSNSなどのアプリでも、異常なほどに劣悪AI画像CMが急増している。 見るたびに、異常というか、異様な雰囲気を醸し出しており、目に触れるだけで気持ちが悪く、鳥肌が立つ。そもそも、画像生成AIの使用目的が歪んでいる。 サブスクで月額数千円で画像生成できる生成AIも多い中で、芸術性もなく、訳のわからぬ商品紹介(誇大広告)で登場する人物像が、全て画像生成AIで作られている。 生気のない若い女性から老人男女
筆者のマガジンの一つに「人間学」というものがある。タイトルはやや仰々しいようだが、記事素材としては、周囲の人間観察で得られたものが多く、特に、筋の通らぬ理不尽な事象であったり、違和感が漂う人間像をテーマとして取り上げる。勿論、反面教師として、自戒を込めての記事が多い。 このように、筆者がテーマとする「人間学」の素材は、周囲に潤沢に存在しているので、切り口を変えるだけで、無限にそれらの考察が可能となる訳だ。学術的な、統計学的なものではなく、肌で感じる血の通った人間像である
久しぶりに、月間ベスト10を調べてみた。全体的にビュー数は多いものの、やはり食べ物情報がトップに躍り出ている。 エッセイストとしては、少々苦笑いものであるが、食べ物はどうしても身近なものであり、共通する話題となりやすく、当然の結果である。 しかし、辛辣なコラムがお気に入りの方もあり、また、ほんわかムードのエッセイが好きと仰る方もいるので、全てを網羅するには、頭が5つほど足りない。 元々、頭の中は散らかっているので、如何様にでも対応できると自負しているが、もっと突
テレビショッピングは、時間帯によっては、どのチャンネルも同じような番組を放送している。小皺がツルッとなるという。シミやソバカスがほとんどなくなるという。関節痛の老人が、さっさと階段を上るようになるという。歯が真っ白になるという。 コマーシャル撮影時に、被写体(モデル)の顎の角度を変えたり、照明を女優ライトに変えたり、ヘアスタイルを変えたり、映像のトリックを駆使して、明らかに視聴者を騙そうとしているが、何故、そのような誇大広告がお咎めにならないのか。 視聴者を騙す商売
現在、30歳前後のアナウンサーやコメンテイターであれば、2007年に日本上陸した仮想現実世界SecondLife当時は、小学校高学年から中学生である。 しかし、今から17年前にメタバースは既に存在していた。当時、多くの大人たちが夜な夜な、パソコンからSecondLifeに入り込み、ヘッドセットを装着すると、日本人や外国人アバターと直接会話も楽しめた。 リアル世界とバーチャル世界の狭間にて、初めて体験する人たちは、現実逃避に走ってみたり、フェアリーテールな世界を構築し
世の中は、マネーフローが盛んな場所に人々が集まる。昔から現代に至るまで変わることのない、「欲」の世界が存在している。 遵法精神を最優先すべき公務に就く人々の中にも、違法行為が頻繁に起こっている。選挙公約の裏では、その「欲」に酔いしれている人物が多いのは情けないことである。 言葉を換えれば、選挙では偽善者に投票するようなもので、最初から我々庶民を騙す人物による悪しき政治が横行し、国家の存続が危ぶまれるばかり。 民間では、大手新聞社の捏造事件やテレビ局のやらせ事件が
「note」で毎日エッセイを書くようになり、2年と3ヶ月が経った。筆者からフォローすることはないが、フォローがあった場合は、顔ありで記事を書かれている方であれば、問題なくフォロー返しをするようにしている。 SNSを利用する場合、フォロワーを増やすために動くことは一切ない。フォロワー数を増やすよりも、フォロワーになって頂いた方々と、日々何らかのコミュニケーションをとることを重視している。 本日、お二人からフォローが届いたので、フォロワー数が999人になった。あと一人で
仕事も趣味も中途半端ならば、最初から着手しない方がいい。時間の無駄であり、また、身に付くものも本物とはなり得ず、無価値なものとなる。 遣るなら、徹底して遣る。これが、仕事に対する敬意でもあり、趣味に対する愛情でもある。器用貧乏と自負している人は、結構、双方とも中途半端な人が多いように思えてならない。 「安物買いの銭失い」にあらず、「中途半端の銭失い」となってしまう。 世の中にはオタクと称される人がいるが、筆者は、そのオタクを敬愛の念を持って見ている。微に入り細に
仕事の話は厳格に願いたい。目的は、その仕事の達成にある。その報告を聞きながら、あまりの不甲斐なさに愕然とし、営業先でのトークの一方的な展開に、社会人としての人間学の基本の不知を感じたのである。 営業のプロは、相手のニーズや夢や思いをしっかりと引き出し、ポジティブな流れの中で、導火線に火をつけるタイミングを見極め、一瞬の隙なく、契約に漕ぎ着けるテクニックを持っている。 ところが、営業の基本を知らない人は、自らの情報を一方的に吐くだけで、相手の心底にある炎に水を注ぐ危険
タイミングの悪い人は、どこかの歯車がズレていることが多い。これは、自己中心的な行動や無計画な決断が原因であることが少なくない。彼らは自己スタンダードに囚われ、相手の立場や状況を考慮せず、独自のタイムスケジュールで行動する。その結果、重要な情報を伝えるべき瞬間に、不適切なタイミングで連絡を取りがちだ。 タイミングの適切さを判断するには、相手のライフスタイルや状況を理解し、連絡可能な時間を見極める必要がある。適切な準備と事前の許諾があれば、コミュニケーションはスムーズに進む
イソップ物語にあるように、狼が来たと何度も嘘をついて、結局、本当に狼が来た時には信じて貰えなかったという物語。 人と言うものは、大なり小なりの嘘をつく。中には、「嘘も方便」を盾に、自らの嘘を正当化する人もいる。勿論、他者にとって真実を明かすよりも、それを暈して嘘で固めた方が、他者のためになると判断に至った場合は、それも手段の一つであろうが、現実問題として嘘は頂けない。 殊に、仕事における嘘は、プロジェクト自体を頓挫させたり、業務妨害に至ったりと、取り返しのつかない結
お金さえあれば、食事処さえあれば、人間は生きていけると思っている人も多いのではないか。それは、田畑に疎遠な都市部に住む人たちの感覚ではないかと推察する次第。 日頃から、通勤してランチをとり、さらに仕事を続け、残業を除けば、帰宅する。その一日が当たり前のように過ぎていくが、「命をつなぐ食」として、朝食、昼食、そして夕食を無意識にとっている。 ところが、我々が食しているものは、米、麺類、パンなどを主食として、肉類や魚介類、乳製品、野菜、果物と、多種多様な食材が胃袋に収ま