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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの…
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#民度

自分スタンダードの常識ほど非常識なものはない。

<茶碗の持ち方、箸の使い方>  身近なところから語れば、茶碗の持ち方や箸の使い方。礼儀正しく使える人は極稀である。幼い頃から教えられていないところを曝け出し、社会人として公然と赤恥をかいてしまうことになる。

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トイレの美しさにより、その施設レベルが窺い知れる。

 ある日のこと。熊本県北部にある道の駅へ足を運び、トイレを利用しようとしたが、施設内にある外部トイレには「国土交通省管理」の看板ようなものがあり、ドアは壊され、便器も壊されている惨状を見て、腰を抜かしたことがある。  多分、心無い人物が破壊行為に及んだに違いないが、公衆トイレのこの有り様は見るに耐えず、また、その道の駅の管理体制にも問題がある。いくら「国土交通省管理」のトイレといえども、破壊されたまま放置しているところが、理解し難い。  また、熊本県北部の別のコンビニに立

年配者の不思議ちゃん

 2年も3年も、グズグズ、ノロノロするばかりで、不義理にも、初手から皆で決めたことに向き合わぬ年配者がいるのだろうか?全てに形から入るのは構わないが、物をを手にすれば、それで安心するという不思議ちゃん。泣きじゃくる5歳児が、百貨店でオモチャを買ってもらって泣き止む。その繰り返しのような年配者である。  その挙動については、逆立ちしても理解できない。オオカミ少年なのか、他者を愚弄するのが趣味なのか、己の歪み切った思考回路が理解できないところが、痛すぎる。本人は真っ当だと思って

熊本弁「すんまっせ〜ん」の真意は!?

 時折、会議などの定刻を過ぎて遅刻した人間が、大きな声で「すんまっせ〜ん」と遠くから叫んで走ってくるところをよく見掛ける。  「すんまっせん」は、「すみません」、「申し訳ありません」、「ごめんなさい」という謝罪を表すものだが、大声で「すんまっせ〜ん」と言うのは、謝罪というよりも、自分の心の中では迷惑をかけてしまった他者から咎められることはなく、ご挨拶程度の言葉として発していることになる。  それも、笑いながら「すんまっせ〜ん」と言われると、反省もなく、相手に自分の存在を高

何故、人は愚行を繰り返す!?

 「何故、人は愚行を繰り返す!?」の結論を申し上げれば、その人にとって単に楽だからである。  その人の言動が「愚行」であると指摘を受けても、その人がどうでも良いと考えれば、改善する心もないのだから、そのまま「愚行」を続ける方が楽である。  結果的に、その人は周囲からは白眼視されるだけで、赤恥をかいてしまう。しかし、その人が赤恥と感じないのであれば、「愚行」は延々と続く。それが低民度な人の「愚行繰り返し」のカラクリである。  そこで、相当痛い目に遭うと、如何に鈍感、無関心

不正と対峙:日本の政治における構造問題

 世の中は、マネーフローが盛んな場所に人々が集まる。昔から現代に至るまで変わることのない、「欲」の世界が存在している。  遵法精神を最優先すべき公務に就く人々の中にも、違法行為が頻繁に起こっている。選挙公約の裏では、その「欲」に酔いしれている人物が多いのは情けないことである。  言葉を換えれば、選挙では偽善者に投票するようなもので、最初から我々庶民を騙す人物による悪しき政治が横行し、国家の存続が危ぶまれるばかり。  民間では、大手新聞社の捏造事件やテレビ局のやらせ事件が

「その人、知ってるよ!」を、鵜呑みにするな。

 卯建(うだつ)が上がらない人間ほど、自分とは縁もゆかりもない知名人を、如何にも友達のように軽々に語る。ホテルのエレベーターで会っただけで、知名人をよく知っているように振る舞うような、厄介な人間だ。  そのような人物から、逆に紹介を受ける側に立って考えれば、迷惑でもあり、逆に、その知名人のイメージダウンに繋がる可能性も無きにしも非ず。よって、「その人、知ってるよ!」の軽はずみなことを言う人物には注意を要する。  特に、人気ある芸能人の名前を語ることで、自分自身がそのレベル

ゴミのポイ捨て人間は、複合汚染者。

 普段から恥ずかしいばかりの大人を見掛けることがあるが、中でも、ゴミのポイ捨て人間には虫唾が走る。  特に、車の走行中に車窓からゴミをポイ捨てする非常識なる者がいるが、ペットボトルなどが後続の車に当たり傷つけたり、事故を引き起こす可能性も予測のつかない、お馬鹿さんである。  自分の車の外界をゴミ箱と勘違いしている。車の中を自由に使えるリビングルームと思い込むのは自由だが、自ら出したゴミを車外へポイ捨てするのは、環境汚染かつ社会汚染という罪を犯しているのと同じこと。よって、

礼節無くして、一端の大人とは言えない。

 近頃思うことは、「礼節」を重んじる大人が激減していることである。「礼節」とは、人々が社会生活を営む上で、守るべき行儀やマナーや道徳的規範のことを指す。  これは「民度」の問題と関連してくるが、兎に角、自己中心的な物事の考え方を持ち、常に、自分自身を棚に上げた状態で、身勝手な行動をとる人間が増えている。  個人主義と利己主義を取り違えているのも要因の一つであるが、自分さえ納得できればそれで良いという、非常に視野の狭い考え方が横行している。  お世話になったら、恩を仇で返

今のコンサルやコーディネーターに何が不足しているのか!?

 昨年より十数年ほど続けてきた「先見塾(face to face)」改め、新たに「Well Done」を立ち上げ、ZOOMとFacebook(非公開グループ)にて展開している。それは、いつでもどこからでも参加できるシステムである。  目的は、企業戦士育成と受講生が講師となるに相応しいノウハウを提供することにある。  新聞社当時を振り返ると、大手メーカー(東京本社)からのオファーにより、東京や大阪、滋賀、福岡、佐賀、長崎、熊本など、各地のセミナーに招聘され、新聞社の許諾を得

育ちは、怖い。

 他人様の育ちについて口を挟みたくはないが、育ちが悪いと言われる人は、素行が悪い人が多いように思えてならない。  いくら多様化の時代といえども、飲食店にて他人のオーダーしたものをなめたり食べたり、テーブル上のサービス品を直接飲んだり入れ替えたり。どう見ても、幼い子供もしないようなことを、大の大人がやっている。  SNS上で写真や動画が拡散されると、有名人になれると履き違えしている。そこで、一歩二歩下がって、自らの行動が愚行であることに気付かぬところが、大人気なくもあり、育

「みんなのフォトギャラリー」の不愉快な写真使用について(2)

 「みんなのフォトギャラリー」へは、時折、美しい景色や花々などの写真を撮影できた時は、少しでも共有登録するようにしている。  現在、数日おきに読者の方や「note」を活用している方々が、筆者の写真を利用されることが多いが、とても嬉しいことであり、感謝に堪えない。  ところが、つい先ほどのことであるが、折角美味しそうな料理写真を利用されたと通知が来たので見に行くと、或る日のフレンチレストランのテーブル上の写真が掲載されていた。  その記事内容を読むと、筆者の共有写真利用者

コンビニ文化向上のためのモラルとコミュニケーション

  コンビニエンス・ストア、通称コンビニは、我々の生活に欠かせない存在であり、その利便性は多くの人にとって当然のものとなっている。しかし、最近では一部の利用者がコンビニの便利さを勘違いし、その施設を不適切に利用することが増えているのである。これはコンビニが提供するサービスに対する誤解や不知に基づくものであり、より良い環境を維持するためには、利用者のマナーや店舗とのコミュニケーション向上が急務である。  不適切な行動には、正面駐車スペースでの長時間の駐車や、他店で買ったゴミの

「カスハラ」 のない旅へ・・・

 この12月から旅館業法が改定され、ホテルや旅館における「カスハラ」(カスタマー・ハラスメント)への厳格なる対処が認めるようになる。  旅慣れしていない、ホテル利用のモラルさえ知らない人たちは、自分たちの個人的欲求や感情を抑えきれずに、「金銭を払う方が偉い!」と、旅先のホテルや旅館に難癖をつける人は多い。  成人になれば、「法の不知」は許されるものではない。今回の旅館業法の改正により、宿泊施設はカスタマーの暴言や不当なクレームに対して、宿泊拒否を行う権限を得る訳だが、当然