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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの…
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2023年11月の記事一覧

「note」のコメントが一番の癒し

 ほぼ毎日、数本の記事やエッセイを「note」にアップしているが、最近、にわかにコメントが増えてきたように思えてならない。よって、毎日、ぴょんぴょん跳び上がっては、天井に何度も頭をぶつけている次第。(そんなに座高が高くはない)  先ほど、「不器用な人ほど、プロになれる。」の記事にてコメントが寄せられていたので、跳び上がるほどに、嬉しさ100倍となってしまった。  その記事では、自分で器用だと思い込んでいたら、実は、ほとんどが力技であったことに気づいた時に、周囲を見回すほど

道徳心と犯罪・・・

 幼い頃から教育を受け、躾を受け、痛い目に遭って、自我に目覚める頃に、その人の唯一無二なる人格と道徳心が備わっていく。  そこで、いろんな事象に直面した時に、自然と道徳心が湧き上がり、目の前の事象が善か悪かの見極めができることになる。  道徳心がある人は善悪の分別がつくので、敢えて悪の道を選ぶ確率は低く、法に抵触することは少なくなるのは当然のことである。  ただ、どんなに道徳心が備わっていたとしても、取り巻く悪友関係により、恫喝されたり脅迫を受けたり、道徳心が折られ、悪

「唄を忘れたカナリア」にならぬよう、自戒を込めて。

 iCloudの写真を整理していた時のことである。数万枚の写真の中で、重複するものを消す作業と併行して、不要な写真も次々に削除して行った。その中で昔の写真を見つけ、良き時代の思い出がふと蘇ったのであった。  ここ数年、周りの状況があまり良いとは言えず、何が原因で、折角のポジティブな動きがネガティブに反転するのか、自問自答したのである。  人間関係の問題が主な原因であり、価値観や考え方の違いで疎遠になることもあった。また、某企業とその役員たちとの関わりで、隠蔽や責任転嫁によ

突然キレて止まらぬ罵詈雑言・・・

 ある人物の言葉に驚いた。「・・・くせに!」と、激しい言葉のトーンと語尾の「くせに」に腰を抜かしたのである。  電話会話の中で飛び出したこの言葉は、何を血迷ったのか、激昂した挙句のものである。以前、他者から「あの人は、急に激しく怒り、とても怖くなったことがあります。」と、ある人物を危険視していた。  この人物が発した激しい言葉やそのトーンを検証すると、自分の脳内に激震が走り、品格のない罵言で、本人の怒りの激しさを表そうとしている。自分自身の正当化を最優先して相手を罵りたく

人が動けば、お金が動く。

 某市にある宿を訪ねた時の話。信頼できる方のご紹介だったので、その方に失礼なきよう、手土産を厳選し、約束した時間三十分前に到着した。  コーヒーが好みであると聞いていたので、数種類のコーヒー豆を手土産とした。とても喜んで頂き、その後、現地の観光振興についてサジェストを行った。  それから2週間後に再度打ち合わせをすることになり、足を運び入れた。すると、多忙な様子で、ほとんど話ができず、次週に日程が変更となる。  さて、1週間後に仕切り直しで足を運ぶことに。豪雨だったので

子は親の背中を凝視している・・・

 日頃から親の背中を子は見て育つ。それも、親の言動や挙動をお手本として、鸚鵡返しのように背中を見て育つ。気づけば、お辞儀の仕方もグラスの持ち方も、タバコの吸い方などそっくりさんである。  家を訪ねてきたお客の質問に、親そっくりの表情にて、おませな娘であれば、大人の会話を挟みながら受け答えしている。それは、親の言動や挙動が完璧なお手本になっている証でもある。  例えば、一端の大人として、見識高く、良識的な親の背中であれば、ほぼ間違いなく、その子達は、親の言動や挙動がスタンダ

常連客とは!?

 いろんな食事処へ足を運んでいると、どうしてもお気に入りの料理が出される処を優先して足を運んだり、また、料理人の人間性によっても立ち寄る頻度が異なってくる。  長年の間、その繰り返しをしていると、いつの間にか「常連客」と呼ばれるようになる。ところが、昔ながらの「常連客」という定義が、最近は崩れ去りつありはしないかと感じている。  これは、あるレストランの店主やホテル経営者の言葉に見事に象徴されるものであるが、以下のようなことを言っていた。  「オフィスが当店に近いからよ

金の切れ目が縁の切れ目!?

 昔から世の中を風刺する言葉で印象深いものの一つに、「金の切れ目が縁の切れ目」というものがある。  仕事関係において、お金で繋がっている関係は、お金がなくなると、せっかくの良縁だとしても縁が切れるということである。また、自分自身のマネーフローの勢いが良い時は人が集まり、それがなくなれば人は去るという、世の中を巧みに風刺した言葉であろうと。  この一年の自らの仕事関係を検証している中で、コロナ禍による人の心の歪みも影響してか、せっかくの信頼関係を断つ人を多く見かけるようにな

ネガティブ路線は断ち切るしかない

 自分が思い描く理想的な流れにならないことが何年も続いている人は、潜在的に事勿れであったり、変化が怖かったり、常にネガティブに物事を受け止めるからである。結論から申し上げれば、その流れを変えるには、断ち切るしかない。  筆者も含めての話であるが、どうしてもネガティブなものが纏わりついて、二進も三進も行かなくなることがある。冷静に原因、経過、そして結果を検証すると、仕事であれば、人的な問題が要因であり、経過に対する自分なりの対応や判断が甘く、ネガティブな方向へと引き摺られて行

犯罪にならぬ犯罪の現実と恐怖

 現代社会において、報道を通じて伝えられる日常の事件や事故、それが犯罪の一端であることは周知の事実である。報道は限られた時間やスペースしか提供できず、日々起こる出来事の全てをキャッチすることは難しい。  また、ネット社会やSNS社会と言われる中でも、我々が把握できる情報は限定的である。グローバルな動きに関心を寄せているにも関わらず、全てを読み切るなどできない現実がそこにある。  筆者の知人の知人女性の経験が、この日常の犯罪の一端を象徴している。十数年前のことだが、女性が飲

初めて体験した民事裁判・・・

 ここ数年はいろんな事が起こった。2016年には熊本地震、2020年から2023年はコロナ禍。その間、熊本県内は水害も凄まじかった。その中で、今年は生まれて初めて民事裁判を体験したのである。  無事結審したが、具体的には書けないけれども、簡易裁判所から送付されてきた訴状を読むと、「捏造された虚偽に基づく訴状」が届いたのである。仰々しくも弁護士3名の氏名が記されていた。  客観的に見れば、原告側の個人的感情と傲慢さが窺い知れる、実に強引で立件するのに証拠がない無意味な訴状で

意味不明なコメントに、困惑する。

 先ほど、フォロー&フォロワーでもない人が、コメントをしてくれた。  コメントを拝読すると、どうも、批判的な立場で、筆者の記事やエッセイの中で、若者と老害に関する一つの記事が「炎上狙い」ではないかとの悪評のご指摘を受けたので、少々、困惑しているのである。「昭和を引きずる一部の人間」というような表現が、若者 vs 老害とを投げ掛けた「炎上狙い」との評価には驚いた。  よって、読者の方次第では、受け取り方がこんなに違うのか再認識した次第。どうして、そこまで歪んで解釈するのかに

「煮えきらない奴」とは言われたくない

 「煮え切らない」とは、「態度がはっきりしない」、「ぐずぐずしている」、「ボーッとしている」、「シャキッとしない」など、決断力がない様子や優柔不断な態度を指している。  「煮え切らない」は『物が十分に煮えていない』というのが由来らしいが、煮えてなければ、美味しい物も美味しく食べることもできず、生煮え状態であれば腹も壊す可能性も高く、不快感を持つのは当然である。  特に仕事上では、他者からは絶対に「煮えきらない奴」とは言われたくもなく、言われてしまっては、既に社会人としては

老舗料亭の女将の言葉を想い出す

 随分前の話だが、テレビを見ていると、着物姿の老舗料亭の女将さんがインタビューを受けていた。内容は、電子メールについての話のようだ。  女将さん曰く・・・  「電子メールもお手紙と同様に、送られてきたメールはちゃんと目を通し、必ず、お返事をするようにしています。電子メールだからと軽視するものではなく、従来の書簡やおハガキのお手紙と同様に大切なお客様からのメッセージであると受け止めています。ですから、お返事をしないのは、相手様に大変失礼なことであると、私はそう考えています。