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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの…
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2022年7月の記事一覧

目の前のビジネスチャンス。その綱引きに勝つか負けるかは、『読み』と『詰め』で決まる。脈がなければ、即刻、綱を切れ!

 知人友人の紹介で、ビジネスチャンスが生まれることは良くあることだ。しかし、そのビジネスチャンスが具現化するか否かは、初対面からの『良好なる綱引きのプロセス』に掛かってくる。  親しい知人友人であるからこそ、『信頼』は事前に担保されている。その確かな『信頼』の上に立ち、マッチング相手と円滑に物事が進み、新たなビジネスが発生する。  ただし、初手からマンチング相手に『認識のずれ』があると、円滑なる進捗は望めず、想定外にややこしくなってしまう。そこには紹介者の説明不足というよ

『謝罪』への本気度で、その人物の本性が良く見える。単に「謝罪します」、「撤回します」は、その場凌ぎの逃げ口上。

 人は誰しも失敗したり、迷惑を掛けたりして、第三者へ『謝罪』することがある。そこで、『謝罪』の本気度がどれほどのものかにより、その人物の本性が見え隠れする訳だ。  横着な例として、「この歳になって、何でそんなに叱責されなければいかんのか!?」と逆ギレする人がいたり、「申し訳ありません。私が起因となっているんでしょうね。」と他人事みたいに、失態への『反省』も『謝意』も伝わってこない人も多い。  上は、世間知らずの人間によくあるパターンだが、聞いている方が、イラッとしてしまう

友から突然のLINE。学生時代から敬愛する友と、数十年ぶりの再会!

 午前中に、LINEの知らせが届く。前夜は記事を書いたり、調べ物をしたりの徹夜作業だったので、椅子の上で二度寝の途中だった。目を擦りながら、iPhoneを覗くと、久しぶりの友からのメッセージ。  「10月に熊本に行くので、数十年ぶりの再会できない!?」とのこと。飛び上がるほど嬉しかった。一気に目が覚めた。関東から仕事で熊本へ足を運ぶのに、わざわざ連絡を入れてくれたことが、すこぶる嬉しかった。  数年前、何度か電話で話すことはあったが、数十年間face to faceで会う

『人を見抜く』・・・どんなに外面良かろうが、格好つけようが、所作や対応で、実像が炙り出される!

 人は、自分なりの感覚にて、他人と接している。常に鏡に映る自分自身を客観視している人ならば、日々洗練、熟成されて行くが、付け焼き刃的に騙し騙しのスタイルで他人と接する人は、あちこちから違和感が噴き出してくる。  『人を見抜く』というのは、善きも悪きも、世渡りするには、必要不可欠なスキルとも言える。見抜ける人の周囲は、安全牌の方々が多い。それに反し、見抜けぬ人の周囲は、怪しい影が見え隠れする。両極端なる「類は友を呼ぶ」ということだろう。  人を見抜いた瞬間、その人の民度がど

負のスパイラルに入り込んだ人は、表を歩いているのか裏を歩いているのかも分からず、他人様の心の声も聞こえなくなる。

 『男に二言はない』という昭和的な言葉。しかし、『二言はない』は、信頼関係を維持するには必要不可欠であり、すこぶる重要な約束への意志を表す。  しかし、負のスパイラルに入り込んだ人は、迷走に迷走を続ける。それも、同じタイミングで、同じパターンで、同じ醜態を曝け出す。  一端の大人が、つまらん状態に陥って良いものか。自分自身を変えるという勇気もないから、その周囲も変わらない。単に、息吸って、飯食って、与えられた仕事をするという具合に、惰性の雇われ人となっているに過ぎない。

肝っ玉小さく、姑息な輩ほど、重箱の隅を突つく。それが上司となれば、部下は不幸のどん底ど真ん中。

 企業には、いろんな人種が生息している。それは、アジア系やヨーロッパ系とかという人種ではなく、大きく分けて、善人と悪人、それに、グレーゾーンの彌次郎兵衛(ヤジロベエ)などの人種を言う。  ここで、部下と上司について検証してみると、会社には必ずと言って良いほど、重箱の隅を突つくような姑息な悪得上司が生息している。よって、その部下たちは、日々、輩からの嫌がらせなり、恫喝なりに遭遇し、仕事以外でエネルギーを消耗している。  ところが、姑息な悪徳上司は、職位を盾に、難癖をつけたり

「連想」、「連動」の重要性とは!?・・・「加藤清正についてのレクチャー」で、伝えたかったこと。

<加藤清正についてのレクチャー後記>  本日の「加藤清正についてのレクチャー」は、物事の学び方、考え方と進め方の流れを、ざっくりお教えすることであった。結論から言えば、「連想」、「連動」により、頭の中で容易にシミュレートできれば、仕事の効率が数段高まるということになる。  つまり、「築城の天才」と言われる「加藤清正」。視点を変えれば、「治水事業の三神」の一人としての「加藤清正」の姿が浮上してくる。  ここで「治水事業」に視点を向ければ、先輩格である「武田信玄」を挙げるこ

昔ながらの『スタンダード』をコロコロ変える宿に、赤信号。原因はともかく、客や従業員を蔑ろにすれば、売上激減は必至。

<宿の『迷走』>  熊本地震やコロナ禍により、宿泊施設には助成金や補助金が投じられたり、養生施設として一棟貸し切り、ワクチン接種会場貸し切りなど、宿への救済措置が講じられている。  国や地方自治体の秘策が、全て上手く機能すると言うものではない(不公平だったり偏る場合がある)。熊本地震やコロナ禍による売上減は想定外に厳しく、ピンポイントの税金投入だけでは、焼け石に水。全てを補填するのは不可能となる。(宿の規模にもよりけり)  しかし、単一の宿が売上増のために、机上空論にて

英語が苦手な人が、苦手な訳。なるほど、自然体に欠けるから、上手く喋れない!

 日本人が、世界でも英語不得意人種ワースト3に入っているのではないかと思えるほど、下手な人が多い。あくまでも私見であるが、以下のような癖を見出したのだった。 (1)唇や舌、顎、顔面に力が入りすぎて、不自然な発音になっている。  下手な人の英会話を聞いていると、妙に巻き舌にして喋ろうとしている。イタリア語やスペイン語ではあるまいし、何とも聞き辛く、聞いているだけで、鳥肌が立ってしまう。 (2)抑揚が妙で、単語と単語の繋ぎの滑らかさに欠ける。  例えば、熊本弁を喋る人が、

信用できるビジネスパートナー選び・・・プレゼン側と受け側への心得についてもサジェッション!

▼プレゼン側の心得について <プレゼンテーションについて>  プレゼンテーションはシンプル且つインパクトがあり、分かり易いキーワードや流れが必要だ。しかし、それが専門的に複雑多岐に亘り、詳細説明が長ければ長いほど、受け側の許容範囲を超えてしまい、完全に消化できない状態のまま終了する可能性もある。  人それぞれに、理解レベルと受け止める脳内の箱の質、数、容量が異なる。仮に、どんなに素晴らしいプレゼンであったとしても、受け側の脳内の箱の質が悪かったり、箱の数が極僅かだったり

洗脳ツールと化した「新興宗教」に毒されるな!・・・教祖が神であるはずがない。気付かねば、全財産を奪われる。

 『政教分離の原則』とは何ぞや。言葉は立派そうに見えるが、実態は、『政教癒着の現実』となっている。洒落にもならない。国家転覆を狙った『オウム真理教サリン事件』の教訓が、未だに活かされていない。  筆者が知る中でも、新興宗教に噛まれた人間が何人もいる。有名な俳優(故人)、その他、経営者や公務員も多かった。また、遠縁にあたる人間で、妙な数珠を首に掛け、似非仏教に酔心、迷走していた人物もいた。  新興宗教の教祖や似非仏教の生臭坊主などは、心が弱り切っている人の心の隙間に入り込み

バルタン星人が最期を迎える時、木々にしがみ付き、やがては力尽き落ち、土に還る。

 夏休みに突入し、にわかに車の往来が激しくなった熊本市内。人口密度が 低い所へと北上し、菊池市泗水町へ向かうも、渋滞は続く。結局、『孔子公園』到着が遅れてしまい、取材ランチとして熊本市内でゲットした弁当が、少々冷めてしまった。  同公園全体では蝉の声は聞こえるが、いつものように騒がしくはない。木々を見回すと、確かにアブラゼミやクマゼミの姿がある。しかし、全く動かぬ状態にて、木の枝にしがみ付いているようだ。  レンズを向けて、シャッターを切って行く。ところが、足元近くの植栽

『話せば、分かる。』人と、『話しても、通じぬ。』人。そこで、民度が窺い知れる。

 何か誤解があったり、諍いが生じると、会話もなく貝となり、音信不通のまま放置している人が結構多い。都合の悪いことについては、特に、その兆候が見られる。実に恥ずかしいことだ。  一つ一つの問題は、ASAP(as soon as possible)にて解決して前に進む。いつまでも喉に魚の小骨が刺さった状態では、心の中がスッキリするはずがない。何事も、『話せば、分かる。』で解決すべきである。  ただ、姑息で底意地の悪い人間に対しては、どんなに誠意を持って臨んだとしても、期待の百

人に迷惑を掛けず、一回きりの人生を精一杯楽しむ。それが、懸命な生き方、過ごし方。下らん事で尖り競っても、ミーニングレス!

 周囲を見てみよう。ワイワイ騒いで、ちょっと頭が吹っ飛んだ、子供のような大人はいないか!?人に迷惑を掛けている自分自身が見えない人は、社会人であっても、聞き分けのない子供のような恥ずかしい大人になっている。何としても目立つことに命を掛け、自分自身に酔いしれる、ノータリン(死語)である。  他人の挙動を嫌に感じる自分がいたら、何故嫌なんだろうと考えてみる。好みじゃないから。耳障りだから。鳥肌が立つから。煩いから。目の前でゴミを捨てたから。声がデカ過ぎるから。ウザいから。そんな