マインドフルネスコーチへの道 Vol.5 軍隊上がりの先生に性根から叩き直された話
誰も知らない環境で、「私は私をやり直すんだ!」と大学を勢いで
退学したものの、何かを明確に決めていた訳ではなかった私。
とりあえず、とある新宿の語学学校の半年間留学集中コースに通うことに。
この経験が私の人生を変える一つのターニングポイントになりました。
その学校は、厳しいで有名で生徒は学校内ではALL ENGLISH(全会話英語)
たまたま、最初の英語テストで良い点が取れてしまったからか
一番上のクラスに組み分けされ、周りは高校を卒業してすぐの
すでにネイティブのように英語が話せる元気な18歳が多い中、
一人大学中退ニートの私は肩身が狭く、英語にも自信が持てず
クラスの後ろの角っこの席でひっそりと生息する生き物と化していました。
「目立たないように、ひっそり授業に出ておけばいいや」
当てられないように、外国人の先生と目が合わないようにしていた矢先、
そんな私に喝を入れた、一人のアメリカ人の先生がいました。
その名は、
Jerry(ジェリー)。
2メートル近くある長身にスキンヘッド、
口元の豊かな髭と長いまつ毛の奥に輝く瞳がチャーミングな彼は
軍隊出身で、この語学学校の名物先生。
時に厳しく、時に温かく、生徒の背中を押す天才で
生徒からとても好かれていたし、同時に恐れられてもいました。
英語の辞書を授業に忘れてきたら、授業中でも家まで取りに帰らせる、
(ええ、私も取りに帰りました)
学校内で他の生徒と日本語を喋ろうものなら
Lのマーク(LOSER=落第者)を指で作り、大きな声で注意をする。
彼の授業で手を上げて発言しない時には、
"Silence equals death"「黙っているのは死んでいるのと同じ」
と叱責され、とにかく前の方の席に座って、
わかってもわかっていなくても手を上げるよう指導されました。
結果的に、この指導がとても良かった。
なぜなら、アメリカの大学にはPartcipation Pointという、積極的に授業に参加しているかどうかを成績として評価するシステムがあったから。
「ペーパーテストの点数が良い」、「授業に出席しているだけ」では良い成績がもらえない。つまり、履修科目の成績の総合点で足切りされる欧米の評価システム(GPA)では、人気の大学に進学が難しくなるのです。
人気の大学には、世界中からこのワールドスタンダードな評価システムを
勝ち上がってきた猛者たちが集まります。「勉強ができる」だけでなく、先生にアピールできる、自分から学びを積極的に取りに行ける、他の生徒と協力してプレゼンができる、論理的に物事を考えて言語化できる、社会に貢献する活動をしている、リーダーシップがある・・・etc が総合的に評価され、入学できるかどうかが決まるのです。
留学に行く前にこの基準を体に叩き込んでいたことは
後々大きな力になりました。
実際に、成績のスコアという点だけなく
カレッジでも前の方に座ることで先生に顔を覚えてもらえたり、
(ミニテストが良くなかった時などに交渉しやすくなる)
自分の意見や質問をする前提で話を聞くので、授業の理解や知識の吸収のレベルが全然変わったり、
「何を学ぶか」も大事だけど
「どう学ぶか」も本当に大事だなと身をもって学びました。
そしてもう一つ、
勉強しているのに、なかなかTOEFLのスコアが伸びない時、
自分が思っているよりスピーキングが上達しない時、
クラス内容が専門的になってクラスについていけない時、
他の生徒のスピーチと比べて自分の残念さに絶望したくなる時、
彼は決まってこう言いました。
"Be strong, be happy."
「強くなれ、そして幸せになれ」
「留学というゴールデンチケットを手に入れられる学生は世の中そんなに多くはない。だから、最大限そのチャンスを活かせ」
すぐ悲観的になる、自分に自信がない、
引っ込み思案で豆腐メンタルだった私にとって、
Jerryの信念が詰まった力強い言葉の数々は
これまでの自分を変革させる力を持つものでした。
今振り返ると、この学校で得たもので大きかったのは、
英語という言語のスキルだけではなく
様々な試練に負けず打ち勝っていくための姿勢とマインドセットだったと
いうこと。
この語学学校で鍛えられた学びへの姿勢とマインドセットを持って
いよいよ、スーツケースを一つ持ち、アメリカのサンタモニカへ。
そこで迎えられたメキシコ人のおばあちゃん宅でのホームステイや
ルームメイトのイタリア人、UCLAとの電撃的な出会いの話は
また次回お届けしていきます。