例え何にもならなくても、それをした自分を恥じることはないだろうと思う
昨日は東京は大雪の予想が出ていて、みんなが「大変だ!」モードになっていたけれど、明けて今日はからりと晴れた。
三連休の初日。
昨日の夜は珍しく明け方まで仕事をしていた。編集をやめて、まず最初に自分で決めたことのひとつが「深夜まで仕事をしない」だった。会社という枠を持たないせいか、職種が変わっても仕事とプライベートの区別がしにくい。営業時間、就労時間というものがあってないようなものなので、自分でスケジュール管理をしないといろんなことが滞る。
仕事とプライベートの区別をつけずに働くのだという人もいるが、私は今日はここまでという区切りが自分の中であったほうが、ストレスがない。
編集時代もなるべく「今日はここまで」という区切りをつけるようにはしていたけれど、それでも朝方まで仕事とか(その後、昼まで寝ていたけど)徹夜は避けられなかった。
心理カウンセラーになって、まず、それはやめようと決めた。え?徹夜の必要ある?と思われるかもしれないけど、わりと見えない仕事ってあるんですよ(笑)。事務とか経理とか、セミナーの準備とか。
昨日は本当に久しぶりに朝方まで仕事をした。不思議なもので作業内容は違っていても、昔、徹夜して働いていた時期の感覚が蘇る。
しーんと静かな夜に一人、レンガを積み重ねるように何かを形作っていく。懐かしいなと思う。
ただ、ただ、やるべきことをやる。それが苦手な事務仕事だったり、仕事とは関係のない頼まれごとだったしても、全部が自分のため、だ。ひとつひとつがレンガなのだ。
この積み重ねがどこに繋がって何になるかはわからないし、何にもならなかったとしても、少なくともそれをした自分を恥じることはないだろう
「繋がり」に必要なものがあるとしたら「尊厳」
そんな徹夜明けの午後、久しぶりにインスタでライブ配信をした。
徹夜の間、作業をしながら考えていたのは「私にとって人と繋がるってどういうことか?」ということ。ライブ配信ではそんな話が中心となった。
月に1回「からくり道場」というお話会を開催している。
毎回テーマがあって、2月20日は「人と繋がるって何?」について話すことになっている。
先月リリースした「人と繋がるコミュ能力アップワークショップ」にも関係する「繋がり」
自分にとっての「繋がり」という意味について改めて考えていて、ライブ配信ではそんな話が中心となった。
私にとっては「同じ」を血眼になって探すことよりも「違い」を尊重し合える関係が繋がり。お互いが自分の尊厳を内に持って対等に付き合えることを「繋がり」と定義しているのだ。さて、これは具体的にはどういうことか?考察はまだまだ続く。
でも、今日は早く寝よう(笑)