あれから10年。 3.11── SNSに通常の投稿をする前に まずはお見舞いの言葉を...... と毎年思うけれど、 あの日によって傷ついた人々の気持ちは 私の想像を絶し、 掛ける言葉を見付けられず、 キーボードを打つ手が止まり、 投稿出来ずにスルーすることが多い。 不器用というか、大人げないというか...... 自分自身に本当にモヤモヤするけれど 今年もただただ、 心からお祈りしています。
近頃頻繁に、目に入ったり心に浮かぶ言葉。 笑う角には福来たる。 グラデーション。 未来と過去。 なんだろね 笑 でもやっぱり、いまの私に対するメッセージなんだろうな。
よかったね。 ── 今朝暝想していたら浮かんだ言葉。 そう、よかったのだ。なにもかも。 ここに生まれてきてよかった。 生きててよかった。 楽しいことも辛いことも、経験できてよかった。 今日を迎えられてよかった。 私が私でよかった。 そして明日の朝もまた「よかったね」なのだ。
目標とは、〇〇になりたい!と具体的に持ち、細かな計画をたてること ── ひと昔前はそうでないとダメ人間だと烙印を押されたけれど、 目の前のことに夢中になっているうちに辿り着いたところが、自分の求めていた場所だったということもある。 その人に合った歩み方と幸福感で良いと思うのです。
ここ1週間ほど 体調のバランスが崩れています。 口内炎がなかなか治らないとか、 胃腸の動きが悪いとか、 やたら眠いとか、 その程度に。 冬の間に溜まった 冷えや疲れを解毒するために 季節が変わるこのタイミングで 「無意識」だけど 身体は調整してくれているんだな〜と 自分自身に感謝をしているところです。 その調整に 私も「意識的」に協力するべく 消化の良い食事にしたり よく寝たりと 身体に負担を掛けないように 過ごしています。 身体って、 自分のもののようで
ほろ酔いで帰宅して、ソファでこんな姿勢でグッスリ寝てしまった…目が覚めてお風呂入ってただいま午前3時。あーぁ…おやすみなさい。
東雲色の世界。 春はあけぼの、だ。 ピンク、黄色、青… 表現するには 私が知る色名だけでは 追いつかないような色彩が 目の前に広がる。 二度と出会えない その空のパレットを、 脳裏に焼き付けたくて 目を閉じてみる。 色に見惚れるあまり 感じていなかったわずかな風が 私の頬を優しく撫で 目の前の波音と 少し先の波音の輪唱が 私の耳に届く。 自然はグラデーション。 そこに境目はない。 だから人間は こんなにも癒やされ 美しいと感じるのかもしれない。
東京は抜けるような青空の土曜日。暖かすぎて何を着たらいいのか戸惑う朝でした。お日様が元気だと良いことが起こりそうだと思うから、人間の心は不思議ですね。 皆様に素敵なことがある週末でありますように!
今日はやたらと歩きたい日。 「やらなきゃリスト」はたくさんあるんだけど、それよりも「やりたい」という自分の欲求はなるべく満たしてあげたい。その積み重ねが本能や直感を感じやすくし、私が望む場所への道を作っていくと思うから😊 本日2度目のお散歩中。
今朝久しぶりに瞑想をしたら、ここ数ヶ月悩ませれていた肩凝りがフワッと軽くなった。自分の呼吸を味わうと心も身体も整う感じ。皆様良い一日を😊 初めてつぶやいてみた。
いつもは詩みたいなものを書いていますが 今日はエッセイっぽいものを。 いま、とにかく伝えたいこと ──── 私、皆さんに夢中なんです。 以前観たドラマ「重版出来」のなかで 印象に残っていた台詞があります。 以下、大御所漫画家の台詞を引用しますね。 作品をつくるということは 自分の心の中をのぞき続けるということだ。 どんなに醜くても、情けなくとも、 向き合わなくてはならない。 noteの世界でご縁をいただいた皆さんは まさにこれだと思うのです。 私の勝手な偏見なの
私の中にあるその存在に ずっと気付かなかった。 いや、 気付かないフリを していただけなのかもしれない。 静かに、穏やかに、 強い光を放ちながら ドッシリと佇んでいる。 その正体を理解したとき 私は戸惑い、自分を責めた。 そんなものを抱えていてはいけない、と。 ─── だってそれは「怒り」だったから。 それは 誰かを傷付けようという 鋭さはなく むしろ心の傷を優しく包み、 温かく、でも力強く守ってくれている。 この怒りという名の物体は 間違いなく影だけど そ
希望ある話をした帰り道、 2人で虹を見た。 虹が消えたあと 目の前に現れた西からのお日様が この先の道を 力強く照らしてくれているような。 そんな気分にさせてもらった 今日の夕景。 大丈夫だよ。 ─── そう言われた気がした。
幸せとか愛とか、 まるで打ち上げ花火みたいに 華やかに、わかりやすく、 目の前に現れることもあるけれど 自分の内側の静寂の中に ひっそりと佇む小さなそれにも、 気付き、感じることができたなら 人生はより豊かになる。 何気ない日常のなかで さっきあの人が言った言葉を 目を閉じて思い出してみる。 するとそこには 温かい気持ちが添えられていたことに 気付けるかもしれない。 いつもと変わり映えしない テーブルの上の食事を 目を閉じて口に運んでみたら 隠し味の妙味に 気付け
好きなことに出会うと 悦びが湧き出てあふれてくる。 温かく、静かに、キラキラと。 それは細胞の隅々にまでじんわりと沁みわたり やがて幸せが身体中にひろがる。 好きなことをしている真っ最中には 無我夢中でわからないけれど ひと段落ついた時や 目を閉じた時に 自分の内側が ふくよかになっていることに気付く。 好き、悦び、生きがい、幸せ、愛… 目に見えない自分にしかわからない感触は、 内側の静寂の中にあるように私は思う。 上手とか下手とか全く関係のない やることそのも
私がなぜ書き、 なにを願い、 なにを目指すのか。 最近ようやくわかってきたこの「目的」を 自己紹介にかえて お伝えしたいと思います。 本を読んだり 誰かの話を聞いている時 ふと出くわす感情がある。 そこから わーーーっと溢れ出てきた言葉を 書き綴っているので フィクションなのか ノンフィクションなのか 自分でもよくわからない。 ただ、 私が体験したことのある”心の感触” が 素になっていることには違いない。 だから、 どちらでもないし どちらでもいいかな...