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言葉を通わせるということ

年末に購入した新川帆立さんの『ひまわり』を読んだ。

あらすじはこちら↓

おしゃべりと食べることが大好きな33歳のひまりはある夏の日、出張帰りに交通事故に遭い、頸髄を損傷してしまう。意識は明瞭。だけど、身体だけが動かない。過酷なリハビリを続けるも突きつけられたのは厳しい現実だった。「復職は約束できない。できればこのまま退職してほしい」。途方に暮れ役所で就労支援の相談をすると、すすめられたのは生活保護の申請。

私は人の役に立てるのに、どうしてその力を発揮させてもらえないの──?

ひまりは自立を目指し司法試験受験を決意する。思い通りにならない身体でロースクールに通い始めるが、次々と壁が立ちはだかり……。
https://www.gentosha.co.jp/s/himawari/

新川帆立『ひまわり』特設ページ


まず根本的に四肢麻痺についてどういうことが出来て、どういうことが難しいのか、日々の生活で必要になることは何か、どういう道を選ぶにしても立ちはだかる壁などを私は知らなかった。
身近で知る機会がなければ知りえないことはたくさんあるのかと思うが、知らないということは怖い。無意識のうちに相手を傷つける可能性があって、知ろうとすることや目をそらさないようにしなくてはいけなくて、しかしそれが難しい。自分の知らないテリトリーに足を踏み入れることが怖いから。
そんなことを考えさせられる小説だった。

主人公の朝宮ひまりが事故で四肢麻痺となった後、自分の人生を歩むうえでさまざまな壁があるわけだが、ひとつひとつの現実や状況を受け入れて今何ができるのか?どうしていくことが必要なのかを考えて行動に移していく生き様に心打たれる。
でも、ひまりにとっては生きていくために当然のことであってそうしないと生きていけない、だから当たり前のことをしているまでなのかもしれないけれど、そうだとしても並大抵のことではないはずなのだ。
読み進めながら、頑張れ、頑張れと思ってしまうのである。(頑張っている人に対して頑張れというのはなんとも微妙な気持ちになるのだが)


この小説を読んで考えたのは、相手に伝わる言葉で伝えるということについて。
ひまりは自分の状況を説明しなければならないことも多いし、物事を進めるために言葉を使って闘わなければならない状況に常に置かれている。
でもそれは私たちの日常生活でも必要なことではないだろうか。
仕事において、プライベートにおいて、さらには見知らぬ人との会話においてもそれぞれの環境も異なれば価値観も同じ人間は少ない。
そういう時に、自分の物差しで相手もわかる前提で話してしまうことが自分にもないだろうか?と振り返った。

言葉の力を信じなさい。言葉がある限り僕たちはつながれる。交渉するんです
(中略)
言葉の力は希望の光。言葉を使って、粘り強く、闘っていってくださいね

新川帆立『ひまわり』

ひまりが通うロースクールの講師であり、後々ひまりの心の支えとなる恩師の言葉だが、これがぐっときた。
この文章こそが言葉であり、希望の光。
日々の生活の中で嫌な思いをすることもつらいこともあるけれど、私たちの生活には希望が満ちているのだなと思う。

また、ひまりの周りで彼女を支える人々にも注目してほしい。
それぞれが原石であったわけだけれど、ひまりと接することでそれぞれが変わっていくというのか本来の姿を出していくのがぐっとくる。


新川さんの小説はすごい。
新年早々いい小説に出会ったと思う。

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