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『小説編集者の仕事とはなにか?』を読んだ感想


人目を引くようなタイトルがつけられない、
それもまた私のセンス
by ちかを


まぁそれはさて置き、最近密かにハマっている書評家の三宅香帆さん
がSNSで感想をあげていた本や漫画を割と真剣に追っている。
不思議なくらいどれも面白く、ふむふむと読んでしまうのだが、その一冊が『小説編集者の仕事とはなにか?』という星海社が出している新書である。

三宅さんの著書やSNSなどを読むうちに新書の面白さに気づき?少しずつ読んでみているのだが、もともと小説好きだし、編集者って何してるのかという疑問もあったので読んでみた。


読みたい本が増えた

著者の唐木厚さんが編集に携わった作品を取り上げていたり、講談社ノベルス、メフィスト賞について書いている中で文中にでてきた作品、唐木さんの読書史の一部として登場する作品など、非常に興味深い作品が多く、読み進めていく中で新たに読みたい本というのが増えた。
特に、ずっと挑戦してみたいと思っていた京極夏彦さんの本(とにかく分厚くものすごい質量として認識はしていた)や森博嗣さんのS&Mシリーズなどに始まり、本格ミステリと呼ばれるものに挑戦してみたいという気持ちになった。

メフィスト賞だけ見ても、私が読んだことあるのは辻村深月さんの『冷たい校舎の時は止まる』のみだった。(これは面白かった)
ミステリというと、グロいのではないか?という先入観が先立って出てきてしまうのだが、唐木さんの考えを読んで「ミステリ」とは幅が広い。
まずは挑戦してみることから!ということで少しずつ開拓していきたい。


「仕事にする」ということ

著者自身の経歴としては、アイドルが好きで、アイドル誌の編集に携わるべく出版業界に入ったということだったが、あらゆるきっかけが重なって文芸の編集者に、そして本格ミステリの世界に足を踏み入れたとのこと。

ただ、これはちょっと言い訳のように聞こえるかもしれませんが、もともとミステリマニアではなかったことは、ミステリの編集者としては悪いことばかりでもなかったと思っています。ミステリというジャンルを、俯瞰的な視点で見ることができたからです。これは編集に限らず、ほかの多くの仕事にも似たところがあるのではないでしょうか。

小説編集者の仕事とはなにか?/唐木厚 より第2章「編集者として、現場で学んだこと」より

自分が好きすぎるものはビジネスにしないほうがいい。ブシロードの木谷高明社長は「すべてのジャンルはマニアが潰す」という名言を発しているんですけれども、僕も完全に同意します。もちろん例外も多いんですが、その場合は自分が好きなものを冷静に分析する視点を持つことができているのでしょう。好きなあまり自分以外が見えなくなっていてはだめですね。

小説編集者の仕事とはなにか?/唐木厚 より第3章「小説編集者の仕事のステップ」より

私は音楽業界で仕事をする中で、どういう視点をもちどういうことを大事にしていくべきなのか、また自分はどう仕事をしていきたいのかということはよく考える。
人によって答えは様々で、何が正解ということもないように思う。
ただ確かに、周りの人を見ていて思うのは愛がないわけではないけれどどこか冷静に見つめている人が続けられているようにも思うし、
かといって愛が深い人でも続いている人というのは実際にいる。
そしてそれはどこの業界でもそうなのだろう、きっと。
家族や大切な人たちとの関係性・距離感についても似たようなことが言えるのかもしれない。


読書離れ、文章離れについて

ちょっと曖昧な表現なのだが・・・(↑)
昨今若者の読書離れについて、私のSNS上では頻繁に登場するトピックスである。(みんなに出てくるのだろうか?)
確かに至る所で、「最近の若い人は文章を読まない」と言われるし、電車の中でも勉強している学生を除き、圧倒的 スマホ>本 という状況だ。
周りでも活発に本を読むわけではないというタイプが多く、本を読んでいるというとすごいという反応が多い気がする。
※決してすごくはないし好きだから読んでいるだけなのだがな

著者は読書離れの理由を「内容の問題ではなくて、使われている文体が好みではないからかもしれない」というところに焦点を当てていることが印象に残った。
素人の私はこれまで、単に文章だけだから…とか絵がないから…とか、
そもそも長く読み続けることが苦痛だとか、心身が疲れている脳に本は不向きだということが理由だと思っていた。
(ちなみに私はその逆で、仕事で日々PCとにらめっこしているような生活だと、その上さらにプライベート時間でスマホなどの画面を見続けることはわりと苦痛に感じている。だからなるべく画面を離れるべく紙の本を読みたいという気持ちがある)

しかし確かに、読書は好きだけれど、いわゆる純文学などの文体が固い作品を読もうとすると、よし読むか!という重い腰を上げようというような感覚になったり、目標をたてて読む感は否めない。
著書内には外国人が日本語を学ぶのに漫画が良いとされているということもあったが、それもそのはず、漫画は登場人物同士の会話で構成されていることが多いのだから、日常使う言葉をまず必要とする場合においては漫画で学ぶことが良いとされるのもうなずける。
なるほど、プロの目線というのは鋭く印象に残ったのである。
もちろん様々な要因が相まって読書離れが進んでいるのだとは思うが。


これからの読書(自分の)

作家と小説を作っていく立場の人の本というだけあって、「読み方」「本の選び方」というところも非常に勉強になった。

たとえば、本を何冊も買ったり、図書館で借りたりするときに、自分の興味範囲のジャンルから7割を選んで、残りの3割はできるだけ興味範囲じゃない作品を探してみる。そんな読み方も有効なんじゃないでしょうか。

小説編集者の仕事とはなにか?/唐木厚 より第3章「小説編集者の仕事のステップ」より


また、ここ数年精力的に本を読んでいるのだが本の感想や良かった箇所を記録しておくというのは比較的自分の内側にとどめていることの方が多かった。
読書ノートの記録をつける→とりあえずメモしておく→メモ放置→noteに書いたりしてみる(←今ここ)
一般的な社会人としてはそれなりのペースで読んでいるとは思うのだが、好奇心旺盛なのか、知識欲を刺激したいのか無理はしたくないがあまりペースを緩めたくはないと今のところ思っている。
毎度noteをつけるのは無理に入るなぁと思いつつ、とはいえ、読んで感じたことを忘れたくはない…。
そんな時、本の感想を語りあえる人がいるというのは割と至福の時間であると思うのだが、なかなかそううまくはいかないのが現実だ。(コミュニティに参加するというのも手だとは思うのだが)

そんな時 ”書評を読むと、文章を通して書評家とその本について議論をしているような気持になれる " というのはなるほどと思った。
これは本に限らずだが、評論というものが必要である理由なのだなと腑に落ちた。

余談で、noteに限らず本の感想を書くということはある種のネタバレを含むということでもある。
それについても難しいと思っていたのだが、編集者の仕事のひとつとして本を売るために裏面(カバーの)やネット上に掲載する内容を考えるというのも仕事の範囲らしい。
その時8割は書いていいというような教えがあるということも印象的だった。


まとめ

いつにも増して長くなっているが、こんな感じで新書の面白さに気づき、あらゆるジャンルを読んでみたいなと思った。


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