私の仕事

私は大学を卒業して、今年で社会人9年目になる。
大学では建築学科を先行していたから、そのままなんとなく建設業に進んだ。
建設業がきついってのはわかってたけど、当時の私の頭には大学で建築を先行したのだから、
そのまま建築をする以外の選択肢はなかった。
今思えば、視野が狭すぎるのだけれど、当時はそれが当たり前で
ある程度は自分で決めているものの敷かれたレールの上を進むだけだった。

新卒でゼネコンに入社し、現場監督になった。
現場に出たい!って強い意志があったというより、
動くの好きだし、運動神経も良いし、まぁ外も悪くないか~っていう程度。
いざ、現場に出てみるとほんっとうにきつかった。
現場に着くのは7時前。
8時から5時まで外での仕事。
5時からはデスクワークで残業。
夏に1日中、外での作業は心底滅入った。
職人さんが熱中症にならないように毎朝、屋上までアクエリアスを10Lだか、20Lだか運んでいた。
朝一でこちらが熱中症になってしまう。

私は人と関わるのが苦手だ。
人の顔色を窺ってしまうから、どう伝えたら良いんだろうとうじうじ。
そもそも伝えるぞ!って奮起しなければ人と関われない。
そんな性格の人間に、いろんな職人さんとやり取りしながら進めていく現場監督が向いているはずもない。

土曜も祝日も仕事。
世間が3連休であっても私は1日しか休みじゃない。たまーにある土曜休みが本当にうれしかった。
毎日残業は当たり前で、現場監督をしていた頃は定時に帰ったことなど一度もない。
完全に働くために生きていた。脳内おかしくなっていた。
当時は何を楽しみに生きていたのか記憶にない。

当時、国立競技場の現場監督をしていた新入社員の方が自殺したとニュースでやっていた。
私も新入社員で現場監督をしていたから気持ちが痛いほどわかって、今でも忘れられないニュースだった。
当時の私には逃げ方がわからなかった。逃げることは悪だと、周りに迷惑かけることだとそれしかなかった。
実際、私が居なくても何とでもなるのに謎の責任感があった。

そんな生活を送っていたら鬱になり、休職することになった。
どんな症状があって、どうして病院に行こうと思ったか忘れたのだけど、
当時は残業&土曜も出社だったから病院に行くことすらできなかった。
お盆休み最終日に初めて精神科に行った。
予約してない人は受け付けておりませんと言われたのだけれど、
受付の方か看護師さんが私の様子を見て時間かかってもよければ枠つくりますと言ってくれた。
看護師さんに別室に連れていかれて何か話してたくさん泣いて、優しくしてもらったのを覚えている。
この件に関して泣いたのは初めてだった気がする。

そして診断書を出されて、休職生活が始まった。
休職期間についてはあまり思い出したくない。
最初の数日間はひたすら眠っていた。相当疲れていたんだと思う。
ある程度疲れが取れたら今度は眠れなくなってしまった。
それから、ただただ、たくさん海へ行ってぼーっとしてた。

自分の好きな曲にはどの曲も聞くと当時を思い出させてくれるんだけど、
当時大好きで今でも大好きなあの曲を聞くと今でも当時を思い出させる。

退職する気、満々だったのだけれど、
会社から別の部署をいくつか提示されて、結局部署を移動することになった。
たまに現場にも出るけれど基本的には本社勤務のデスクワークをしていた。
あんまりやることもなくて、まったく私の必要性はなかった笑
だからとっても気楽だったのと同時にやりがいは全くなかった。
精神的にも元気になっていたのもあり、もっと活躍したいと思うようになった。
頭おかしくなるほど働いた後はやりがい皆無の部署に行き、
そしたら今度はもう少し働いて自分の存在意義を感じたいというないものねだり。
人生は本当にないものねだりだなとつくづく思う。

そして設計部に異動するこになった。地獄パート2が始まるのであった。


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