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かささぎの~「百首正解」より

百人一首第六首目、大伴家持の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。

かささぎのわたせるはしにおく霜の白きをみれば夜ぞふけにける

新古今集冬
烏鵲(カササギ)の階(ハシ)とは、紫宸殿(平安京内裏の正殿)の御階のことである。詳しいことは後で述べましょう。

大伴家持卿は宮中での勤務多忙で、夜更けにご退出の時、霜がひどく置かれているのを見て詠んだのがこの歌である。
 
一首の心は
紫宸殿の南階段に、霜が真っ白に敷き詰められているのを見ると、今夜もひどく更けてしまったなぁという心である。この頃は、国の政治を皇居で行っていた時の事である。

この歌は眼前に見たままを、家持は心安らかに詠みなさったが、自然ともの静かで、確かにひどく夜が更けた心も詠み込まれ、「白きを見れば」という「ば」の辞のうちに、今夜もまた酷く夜が更けたという心もあって、夜ごと夜ごとに夜が更けての退出になるという心も込められた歌である。

カササギとは元々暉幸幸(カガヤキサキサキ)というのを約(つづ)めてカササギと言うのである。ハシは發(はし)「始まり」である。文字には拠らない。

暉幸幸(カササギ)の發(ハシ)始まりということで、朝日が暉(カガヤキ)て幸發(サキヒラク)ことである。
だから烏鵲(カササギ)は、暁を告げる烏鵲(カラス)の文字を借りているのである。

天皇(スメラミコト)は太陽神(天照大神)の子孫であるので、紫宸殿は朝日の輝きの意味で名付けられたものである。

カササギの「カ」は、火を宰(ツカサド)る伯(イキ…伯とは、この世のあらゆるものは伯から生まれるとし、人も伯を発する時は神となると「百首正解」の前書きにある)である。陵(みささぎ…天皇や皇族の墓、御陵)の「ミ」は水を宰る伯である。

これによって、火に幸在(サイハヒイマス)ということで、火幸幸(カササギ)と言い、水に幸在ということで陵(ミササギ)という。
この陵の名があることをもって、紫宸殿に火幸幸(カササギ)の名があることを知るべきである。

太古、紫宸殿という文字を置くことの扱いを言えば、「サキ」の反(カヘシ)は「シ」で、その伯(イキ)はシシである(本語である暉幸幸の幸幸でシシ)。そのシシの二言に靈合(タマアフ)文字(特別な象意を持った文字)を借りて、紫宸殿と名付けられた。

例として奈良の宮を、寧楽宮としているのも、寧のネイのイは省(ハブケ)、楽のラクのクも省く音で「ネラ」となるのを、「ネ」を「ナ」に通じて「ナラ(奈良)」と靈合わせをしているのである。だから、寧楽宮の文字を借りていると言えるのである。このことを和漢靈合わせという。太古は文字を扱うことはこのようなものであった。

後世は書物のみを当てとするため、本に書いてないことは分からないという。だから、烏鵲(カササギ)の橋と言えば、七夕より他にはないと思ってしまうのだ(現代語訳でこの歌はほとんど七夕で解釈している)。

宮中には、朝日の意味があるので、朝廷と言い、朝臣という。内日刺宮(うつひさすのみや…神社、古代の宮殿の名前)という。

昔、御階(みはし)に紅梅があったのは、赤が日の色だからである。宮中は日の靈があるので、総て緋の色を用いる。屋根に檜皮(ひわだ)を用いるのも、既に日皮(ヒハダ)の意味で、他のものは用いない。

雲上と唱えるのも、日は雲より上を照らすという意味である。皆靈(言霊のことか?)がある。私はこのことを水穂伝に書いている。

カササギが暉幸幸という御目出度い名の鳥だということを今回初めて知りました。そういう鳥だからこそ、カササギが渡ってくる素晴らしいところが宮中なのだ。歌人大伴家持は、この歌を詠むことで帝を讃えているのだということが分かりました。しかもその奥には御陵の意味も含まれているとは…。

後半に山口志道はとても大切なことを言っています。
「後世は書物のみを当てにしてしまうので、本に書いてないことは分からなくなってしまっている」

現在古事記の読み解き(靈合わせ)を寺子屋で行っていますが、本来の意味と全く異なった解釈が書物によって世間に流布していることが分かってきました。

ただ、希望となるのは、例えば、朝廷、朝臣、雲上といった単語の中に言霊は生きているということです。こうした言葉に多く触れることができる古典は大切にしなければいけない、と強く思います。


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