麻椿

初めまして。麻椿(あさつばき)です。 マヤ暦を学び始めて1年余り、カタカムナの方は4年になろうとしています。そろそろ身に付いてきた知識をアウトプットすることで、ブラッシュアップを図っていきたいと思っています。皆さまよろしくお願いします。

麻椿

初めまして。麻椿(あさつばき)です。 マヤ暦を学び始めて1年余り、カタカムナの方は4年になろうとしています。そろそろ身に付いてきた知識をアウトプットすることで、ブラッシュアップを図っていきたいと思っています。皆さまよろしくお願いします。

最近の記事

花の色は~「百首正解」より

百人一首第九首目、小野小町の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 ………………………………………………………………………………………………………………………… 花の色は移りにけりないたつらに我身世にふる詠せしまに 「移りにけりな」という「な」は、歎にて、花の移り(魅力が色あせること)を強く言っている。 「いたづら」とは、仇(恨みの種)ということである。 「ながめ」とは、長眼の心で、寂々と(ぼんやりと)物思いにふけることである。 「爾(に)」が

    • 我庵は~「百首正解」より

      百人一首第八首目、喜撰法師の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 我庵は都のたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり 「しかぞすむ」は、鹿ぞ住む(鹿が住む)と、然ぞ住む(そのように住む)の掛詞である。 「よを」という「よ」は、與(与の旧字体)である。夫婦と與(く)み、君臣と與(く)むことである。世を遁れるのも、與を遁れる(くみすることから逃れる)ということである。 世捨て人も、與捨て人である。 世の中というのも、寒暖が往来して、陰陽の與み合わせ

      • あまのはら~「百首正解」より

        百人一首第7首目、安倍仲麻呂の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 あまのはらふりさけ見れば春日なる三笠のやまに出し月かも 中国で月を見て詠んだとある。 安倍仲麻呂は唐開元4年に入唐して、それから唐の上元元年まで約45,46年ばかり在唐して、日本に帰ろうとして、明州という港から船に乗って出港した時、月が澄昇っているのを見て詠んだ歌である。 アマノ原とは、アマは天に向き(アマ)、海に向かう(アマ)といって天と海と向き合って遠いことを言っている。

        • かささぎの~「百首正解」より

          百人一首第六首目、大伴家持の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 かささぎのわたせるはしにおく霜の白きをみれば夜ぞふけにける 新古今集冬 烏鵲(カササギ)の階(ハシ)とは、紫宸殿(平安京内裏の正殿)の御階のことである。詳しいことは後で述べましょう。 大伴家持卿は宮中での勤務多忙で、夜更けにご退出の時、霜がひどく置かれているのを見て詠んだのがこの歌である。   一首の心は 紫宸殿の南階段に、霜が真っ白に敷き詰められているのを見ると、今夜もひどく

          おく山に~「百首正解」より

          百人一首第五首目、猿丸大夫の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 おく山にもみぢふみわけ鳴鹿の聲きくときぞ秋はかなしき 古今集秋 是貞親王の家の歌合せの歌。読み人知らずと有り。 奥山にという「に」の辞は、一首の躰を宰る格である。田子の浦に、の「に」と同じ。 「もみぢ」のこと頭書に言う。ここは枯れた落ち葉のことである。 一首の心は。 秋は総て物悲しいものであるが、奥山で木々の紅葉が落ちているのを踏みしめながら、鹿が鳴いている声を聞くときは、

          おく山に~「百首正解」より

          田兒の浦に~「百首正解」より

          百人一首第四首目、山部赤人の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。 田兒の浦にうちいでて見れば白布(しろたへ)の富士のたかねに雪はふりつつ 「田兒の浦爾(に)」である。「田兒の浦より」という心ではない。 「爾(に)」の辞は、一首の躰を備える格である。よって「爾(に)」と置いて、見る場所を示しているのである。 白布(しろたへ)は枕詞である。 「つつ」は、約筒(つつのつづめ)で、雪は「零(ふり)つ」と、上の詞を約(つづ)めて感じる心なのである。 一首

          田兒の浦に~「百首正解」より

          足引きの~「百首正解」より

          柿本人麻呂 足引の山どりのをのしだりをのながながしよをひとりかもねむ 万葉集   【頭書】物を寄せて思いを陳べるとあり 「足引」は、枕詞である。「しだりを」は水垂尾で、水が垂れるように真っ直ぐな尾ということである。「をの」というのは、如(「言霊秘書」より…其二つ離れずして、又一つに搦(から)み與(くむ)ことを「如」と云)ということである。 「ナガナガシヨ」というのは、最初の「ナガ」は鳥の尾が長いことを言う。後の「ナガ」は夜が長いことを言う。「シ」は助言である。 この歌の中に

          足引きの~「百首正解」より

          春過ぎて~「百首正解」より

          春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐ山  万葉集にある歌について解説する。巻一、中大兄皇子。三山の歌の一首は天智天皇のものである。 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相争競伎 神代従 如此爾有良之 古昔母 然爾有許曾 虚蝉毛 嬬乎相挌良思伎(カクヤマハ ウネビヲヲシト ミミナシト アヒアラソヒキ カミヨヨリ カクナルラシ イニシヘモ シカナレコソ ウツセミモ ツマヲアラソフラシキ) 反歌 高山與 耳梨山與 相之時 立見爾来之 伊奈美國波良(カクヤマト ミミナシヤマ

          春過ぎて~「百首正解」より

          山口志道「百首正解」

          江戸期の国学者、山口志道に「百首正解」という名著がある。 現在、カタカムナ寺子屋では天聞先生のカタカムナ読み時の合間に、本著をもとに百人一首を学び進めている。 この「百首正解」を活用することで、現在私が取り組んでいる百人一首の読み解き進み、言霊の習熟が期待できると考え、今後は「百首正解」を基にした百人一首の読み解きを進めていきたい。 読み解きに先立ち、先ずは本書前書き(附言)にある山口志道の言葉を訳してみようと思う。 大和歌は人の言葉である。天地の伯(イキ)である。 天地

          山口志道「百首正解」

          和歌について

           戦前までは、十代の若者でさえ死出の旅路に立つときは辞世の句を詠んでいます。和歌というものはもっと身近なものであり、精神の根幹にあって、日本人の大和魂に揺さぶりをかける何かを帯びるものなのでしょう。  「言霊秘書」P246に和歌についての記述があったので、今回は「水火伝 詞縦緯(コトノハタテヌキ)」をまとめてみたいと思います。  歌を詠むには、先ず歌詠みという詞の本(もと)から知るべきだ。ウタとは、ウタの反(かえし)アにして、アは五十連(イツラ)の総名を表す。 ヨムとは、

          和歌について

          言霊秘書で百人一首を読み解いてみる

          1、秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ 天智天皇(626-671) 中大兄皇子 中臣鎌足と蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を行った。近江に千都市、即位後近江令を制定した。 【一般的な歌意】 刈り取られた稲の見張り小屋で、ただ一人で夜を明かしていると、葺いている屋根の苫の編み目が粗いので、私の着物はぐっしょりと夜露で濡れ続けていることよ。 【言霊秘書より】 P423 近年、国学者と称する者は、このワの音は万物の形をつかさどっているのに、自他ともにワという法則

          言霊秘書で百人一首を読み解いてみる

          カタカムナ 「水穂伝」火の巻より

          私の住んでいる街は、夏ミカンが名産です。最近外に出ると、あちらこちらで夏ミカンの花の香りが香しく漂っていて、穏やかな気持ちにさせてくれます🍊 さて、カタカムナを理解するには水穂伝(言霊秘書)を理解する必要があります。今、少しずつ読み進めており、火の巻を読み終えました。 体用、軽重、清濁の法則があったり、「返」「切」の法則があったり、理解に困難を極めるのですが、それでも少しずつ読み進めています。 その火の巻の最後の部分で、覚えておきたい言葉がありましたので、ここに書き記してお

          カタカムナ 「水穂伝」火の巻より

          森信三

          森信三という哲学者・教育者がいます。 ウィキペディアによると、1896年9月23日愛知県武豊町出身で、「立腰(りつよう)教育」を生み出した人物とあります。 この教育法は、森氏が「常に腰骨をしゃんと立てること、これが人間に性根の入る極秘伝なり」と説いたことに由来するそうです。 さて、今回、国民教育の「師父」とも言われる森信三という人物を知ることになったのは、2022年2月22日にカタカムナ聖地である大分両子山にあったアメノミナカヌシの扶桑の木の氣に触れるために「カタカムナ言霊

          サトリとは~本日の寺子屋より

          今朝の天聞先生の寺子屋はとても学び深い内容でした。 タカアマハラがサトリの構造で、これはカタカムナの構造である。 宇野多美恵さんはタカマカハラと言っているので、実は理解をしていないのではないか。 タカアマハラとは内周の力と外発の力という矛盾が一体となって、交互に織りなし螺旋旋回するのがその名前の構造である。 これをカタカムナでイメージすると扶桑の木の形となる。 幹が根元一本で、右と左つまり順流と逆流の幹がぐーっとねじり合って宇宙にまで伸びているという一本の木の構造がタカアマ

          サトリとは~本日の寺子屋より

          雑感~一華五葉、出版記念講演会

          3月20日は一華五葉先生の「人生好転 稼ぐノート術」の出版記念講演会とお食事会が大阪で開催されました。 いずれも申し込んだ時点でコンサートのように席次が決まっていたので、今回は早めに会場に行って列をなす必要も無く、不慣れな地だったのでとても助かりました。 参加者は500人はいたように思います。とても広い会場でした。 1年前の講演会(岡山)では100人弱でしたので、この一年間で人気も急上昇したことが分かります。 講演内容は、願望達成のスキルの伝達です。願望達成にはまずは目

          雑感~一華五葉、出版記念講演会

          アメノミナカヌシ②

           ①でお伝えしましたように、アメノミナカヌシは隠れ身ではありますが、この世のありとあらゆる現象に厳然とアメノミナカヌシは関与しています。 と、その前に、今朝の寺子屋の学びから大切なことを記しておきます。 カタカムナは文字ではなく暗号で、この暗号を解くカギが山口志道「水穂伝」の言霊なのです。 元来カタカムナは歌で伝承され、空海によって図象符にされたので、巷で言われているように、神代文字ではありません。ですから縄文に出来たものではなく、ましてや文字ではありません。カタカンナ(

          アメノミナカヌシ②