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言霊玄修秘伝より古代の言語意識

古代の言語観念は、言は事であり神であり、言葉は息、風、森羅万象の音、響きと密接なつながりを持ち、これら総てが一体化していた。中略

言葉を使って我々が考えるのではなく、むしろその時我々を使って言葉が天地の間を自在に活用していたのである。中略

古代日本人の心性においては、神は言葉であり、事実そのものなのである。つまり、一切のものは神即ち言葉によって展開したのである。

【中略】

印度の『リグ・ヴェーダ』では「造一切主」は言語の主であり、言葉の力そのものと考えられている。中略

言葉は全大宇宙を創造し、且つ破壊する驚くべき力を持つ。
この驚くべき力を持つ言葉こそ「真の言葉」即ち「真言」であり、顕幽両界のあらゆる存在を支配し、それに力を与え、命を与えているのである。この思想が仏教と習合した形で伝えられた教えこそ真言密教にほかならぬ。中略

言葉は『新約聖書』では、「プネウマ」によって発現せられるとされる。ギリシア語「プネウマ」とは「霊」であり「息」であり「風」である。

リグ・ヴェーダとは、バラモン教の聖典の一つらしい。こうやって見ていくと、様々な国、宗教に共通して、言葉の重要性を説いており、その言葉こそが子音と母音とからなる日本語の48音(50音)と捉えているのが、言霊学であり、カタカムナなのである。

アニメの影響でフランスでは日本語熱が高まっているとか、イギリスやガーナ共和国の小学校でも日本語を教える学校があるとか小耳にはさんだことがある。

かつて「アナと雪の女王」の主題歌「Let It Go」を世界25か国の歌姫が自国の言語で歌った時(現在この動画は見られなくなっていますが)、日本語で歌った松たか子さんのパートの評価が異常に高かったことがあり、このことからも日本語の持っている音の響きは、世界の人々に対して発信しうる優良コンテンツと言えるだろう。

【中略】のところには、天之御中主神が大宇宙に鳴り響く言霊の神そのものであると書かれていた。天野先生はナナヨツギの中にも出てくる「フトヒ」こそが天之御中主神(アメノミナカヌシ)と言われていた。
言葉がすべての創造主で、それを具現化したものが天之御中主神という。
その言葉は人間の身体を借りなければ発生しない。我々一人一人はクリエイティブな創造主なのだという自覚をもって言葉を発していく必要があるのだろう。昨日のnoteに記した柿本人麿も山上憶良も、きっとその自覚を持って言葉を操っていたのに違いない。

今日のカタカムナ言靈の読み解きは、「プネウマ」にしよう。

プ…火水の両を宰也
ネ…火水の靈
ウ…浮昇也 
マ…広也
神が言葉に乗って浮き昇って広がっていくものが「プネウマ」だと読み解けた。ピッタリ符合して嬉しくなる。



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