![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93897828/rectangle_large_type_2_6f0cb0df45fd2c588144f58602eb3eed.png?width=1200)
子どもがいる人生を望んだ理由。
恋人がいてもいなくても独身でも結婚しても子供がいてもいなくても。ほんとのほんとに自由。結果は全然違っても、どの入り口に立ってみるかはある程度選択できる。
私の恋愛対象は男性で、5年間交際したのち結婚することを選択し、2年後に子供のいる人生を望んで妊活して今夏、出産した。結婚当初は子どもに関してはどちらでもよく、授かれたならそういうお導きということで有難くお世話をさせてもらうけど、いなくてもそれはそれでそういうことなんだろう、という感覚でした。そんな私が、子どもが欲しいと強く望むようになったきっかけと理由について書いていく。
1.自分の魂の成長を促すため
<学び>
月齢が低ければ低いほど、生まれたばかりであればあるほど、宇宙存在に近い。俗世的ではなく人間離れしていて、宇宙意識が強い。崇め奉るべき存在と誰よりも近くで過ごせるなんて、どんなご褒美だ、と。無邪気に自分の欲求に素直に真摯に生きている彼らを見て、一緒に生きて学びを得たい。恩恵を受けたい。
<自分自身と向き合い、内なる子どもを癒す>
子どもに対してどう自分がふるまうのか、反応するのかをチェックして、自分自身の傷やトラウマ、思考や感情の癖にしっかり向き合っていきたい。
子どものふり見て我がふり直したい。原始的な愛や欲求を自分に取り戻したい。自分が欲しくても得られなかった自己愛、無条件の愛を彼らを通して自分に与えなおしたい。
<経験値をあげて共感力を高める>
私は月の欠損(マドモアゼル愛さんのブログ、大変興味深いです)によると、共感力が非常に乏しいらしい。もちろん人の気持ちを想像して理解することはできるけど、それを自分の事のように感じる能力が7歳で止まっている。私は自分がその立場になって実際に経験しないと、いくら話で聞いても共感できない。妊娠出産それに伴う苦しみ、赤ちゃんへの対峙の仕方、母の気持ち等々・・・経験者だからこそわかる気持ちってあるだろうから、自分が知っている感情の種類を増やして心の豊かさを深めたいという気持ちは大きかった。
2.暇だから
正直これは結構でかい。(笑)
旦那と二人であと50年くらい過ごすとしたら、まじで何しようって思った(笑)夢とか生き甲斐とかやりたいことが明確にたくさんあって時間足りないよって人ならその心配はないけど、私には特になにもなかったから。仕事もするけど、好きじゃないし。好きなことはあるけど、何となくそれはただ消費とか消化でしかない種類のやつだし。生産性がほかになかった。出産は文字通り、生産だー!!ってなった(笑)
3.思い出の種類が増える
片思い、両想い、恋人、配偶者、家族、娘、母、祖母、生涯独身、バツイチ。それぞれの段階で得られる思い出って、その段階ごとにやっぱり制限がある気がする。それぞれでしか享受できないものがあるから。ってなると、移り変わることで受け取ることができる経験の幅が広がって、人生に彩りと深みが増すよな、って単純に思う。今の自分が次はどの段階に行きたいかなって考えたら、家族をつくって母になること、だった。
4.好奇心
子どもができて自分がどう変わるのか。我が子に対して自分がどう接するのか。旦那、母、父、姉、周りの人たちがどんな顔や表情、反応をするのか。それを見たい、知りたいっていうのはめちゃくちゃあった。あとは、せっかくこの世に命を産み落とせる体で生まれてきたのだから、出産を経験してみたい。どれほどの苦しみと痛みを伴うのか。命がけで産むけど、でも大半の人が死なずにそれをやり遂げる。そんな経験ができるチャンスがあるのであれば、経験してみたいという気持ちもあった。
5.使命感
これは、あくまで私個人で感じたこと。他人には一切思わない。ただ私において、産めるのであれば、そういう運命というか、宇宙の流れなんだ、と受け入れたいなという感覚。
あと、これは今はもう手放した感情だけど、姉が産む気がないので、2人姉妹ってなると、両親に孫を見せられるのは可能性があるのは私か・・・?って思った時期もあった。
で、実際に、子どもを産んでみて思うこと。
本当に産んでよかった。それしかない。
まだ5ヶ月そこらだから、まだまだ経験値もないけれど、この5ヶ月、むしろ1週間、いや一瞬、あの産声をきいた一瞬、その光景を感じられただけでも、子どもを持つ選択をしてよかったと心底思う。親孝行は3歳のうちに完了してるっていうけど、もう今の時点で完了してるよって思う。もちろん、まだまだ知らない新しい世界を子どもと一緒に見たいけど。
これからも、愛おしく尊くかげがえのないものと、生きていきたい。